普段ならニュースが終わるとすぐにラジオを消して寝床から抜け出すのだが…
今朝に限っては普段より暖かな空気が部屋に満ちていたたせいだろうか、加えて布団のぬくもりが妙に懐かしくてすぐには起き上がらず、しばしその心地よさに身をゆだねていたらそのまま寝入ってしまい、気付いたら5時を回ってしまっていた!
1時間超の寝坊は今年に入って初めてで、この一事をもってしても確実に春がやって来ていることの何よりの証拠だろうとわが身を納得させる。
春は時々こうしたチョンボを引き起こすから気を付けないといけない。
今年もまた「3.11」が巡ってきた。
去年の秋、友人夫妻と八戸から松島まで三陸海岸沿いを車でたどりながら「被災地の今」を見て回ったのだった。
その時の印象をごく大雑把にひとくくりしていえば7年もの年月が過ぎようとしているのにまだこんな程度か! とその復興速度の遅さに驚いた。
だから政府が言っている「震災復興は順調に進んでいる」という意味が全く理解できないのは、ボクの目がいつの間にか節穴になってしまったからだろうし、そうに決まっている。政府が嘘をつくわけがないもんな。
テレビはこの日に合わせて様々な特集を組んで放送しているが、昨日チラッと見た番組に「在宅避難」の問題というのをやっていた。
震災発災直後、様々な事情から避難所に行かず、自宅が大きく被災したにもかかわらず住居の一部、例えば2階が無事だったりして、そこで非難を続けてきた人たちの現状を伝えていた。
8年経った今でも、それらの被災住宅の復興は全く手つかずと言ってよく、吹き込む隙間風を段ボールや畳の切れ端で覆ってしのぐ悲惨な状態が続いている。
長く水に浸かっていたせいだろう、階下では床を支える骨組みが朽ちてしまって床板まで落ちそうなのに何の手も打たれないままである。
多くは高齢世帯の住人たちで、頼るところも人も無いまま修理が出来ないのだ。
避難住宅に入れてくれと市役所に頼みに行ったら、全壊かそれに近い被害を受けていない場合は入居資格がないと断られたともいう。
そうした場合に支払われる公的な改修資金は300万円にも満たないのだという。
そこまで見てテレビを消してしまった。
何時だってそうなのだ。しわ寄せは弱いところにばかり集中する。
そして為政者と言われ、被災地から遠く離れたところで暖衣飽食して五輪のことばかりを気にしている連中は平然と言うのだ。「復興は順調です」と。
ボクの家は阪神淡路大震災から2年ほど後に建て直したのだが、とにかく「耐震性と火災に強い家を」という思いで建てた家なのだ。
幸いに地盤も砂岩の層が地表近くまで迫ってきている場所なので、基礎はその固い地盤にがっちり打ち込んである。
波打ち際からも1キロ以上離れているし、海抜も30メートルあるから津波の心配もない。
ボクの現役時代は大きな災害や事件があれば一段落するまで家に帰れない仕事だったので、家族がせめて家に居さえすれば一定の安全が確保できる家を、という思いからの選択だったのだ。
だから避難所に行くことも想定はしていない。
できれば家に蓄えた備蓄の食料などでとりあえず1週間程度はしのごうと考えている。
首都圏で大きな震災に見舞われたら、人口の多さから言って東北地方の被災諸都市の比ではなく、避難所だって機能するかどうか怪しいものだから。
しかし、こうやって在宅避難の問題や復興の進み具合の遅さなどを目の当たりにすると、大震災は生き延びたとしても後門の狼とも言うべき強烈な敵にも備えなければいけないようだ。
やるせない話だけれど、それがまた現実だろうし、もっと想像を絶するようなことが起こるかもしれない。
そうなればもうケセラセラ精神しかなさそうだな。
サンシュユと白梅
円覚寺の黄梅院にも春がやって来た
こちらはミツマタとサンシュユ
黄梅院門前に掲げられた横田南嶺管長の揮毫による坂村真民の詩
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