平方録

あ~あ

春が着実な足取りでやって来ていて、それを待ち望んでいた身としては実に嬉しいことなのだが、なぜか心底から喜びが爆発するような気持ちにならないのが気に入らない。

思い当たる確かな理由というのが見つからず、つきつめても「何となく」という理由しか見つからない。
そんな曖昧なものを理由として上げていいものかどうか疑わしいが、それ以外の理由というものが見つからないのだから致し方ない。
春がやってきて本来なら浮き浮きしてもいいはずなのだが…

ホントに人間てのは面倒な生き物だとつくづく思う。
何で素直に喜べないのか。自分でもイラつく。
こうやって書いていること自体が煩わしい気分で、できることなら放り投げてしまいたいが、そんな短気を起こさなくったって…というブレーキをかける気持ちも一方にあるから、イラつきはさらに募るのだ。

結局、ボクの周囲に存在するごくありふれた日常がボクが普段思っていることと、してきたことと、ことごとく微妙にズレているようなのだ。
一つ一つは大したことではないのだ。黙って見過ごせる程度の齟齬である。
でも、それが身の回りの事柄すべてでズレてくると…
堪忍袋の緒が切れるというか、仏の顔も三度撫でれば何とやらとか、そういう心穏やかならざる気持ちで起きてから寝るまでを過ごすハメに陥ってしまっている。

かくして待ちわびた春がやって来たのに心と体がバラバラになってしまったように、もやもやとした気分を引きづりながら、イラつく自分と向き合わざるを得ないという因果に直面しているのだ。
一種の病気だね、こりゃぁ。
でも、こういう状態というのは、ひょんなことから雲散霧消する類のヤマイなんだろうとも思う。
何かに夢中になるとか、楽しいことに身をゆだね切るとか…

間もなく「まだ冬」の東北に遊びに出かけるのだ。
「冬」ってのが少し気になるが、どこかに佐保姫様も隠れているはずなのだ♪


昨日3.11に開いた句会のわが提出句を掲げて今日のところはオシマイ。
兼題は「彼岸」と「3.11」。この兼題のせいもあるのかもしれないが、メンバーが提出した句はどこか重苦しいものが多く、滑稽味とか洒脱さの薄まった句会になってしまった。

 貝になりどこまで続く「3.11」

 お彼岸や同期の集いはあの河原

 佐保姫にほっぺ張られる彼岸かな

 初音待ち尾根道たどる軽き足

 うぐいすの初音うれしや老いの耳 



おはよっ!


散歩道で今年初めて出会ったツクシ


わが家のボケもあと一息

コメント一覧

平方録
イメージ違いますか
http://blog.goo.ne.jp/heihoroku
ひろさん こんにちは。

ボクは春の憂鬱というのが決して嫌いではありません。
例えば船の絵を描くとして出来上がった船の絵に煙突が描かれていなかったとしたら…
あるいは真夏のよく晴れた空に真っ白な入道雲が湧き起こらなかったとしたら…
何かヘンだし、物足りませんよね。
それと似たようなものだと思います。
ボクにとって憂鬱は春というカンバスに必要な一点景でもあり、あるのが当然でもあります。
そしてボヤキも身の内のようなもので、これも欠くべからざるものの一つなんです。
この憂鬱をちゃんと味わわないと春が来たとは言えないのです。実感できないのです。

ツクシはたま~に佃煮風にして食べることがあります。フキノトウやツクシやノビルなど春の野草の類はほろ苦さがあって冷酒とかぬる癇によく合うのです。春が来た~って実感できますよね ♪
ひろ
春愁・・・
https://blog.goo.ne.jp/hirotosaiseikai
こんにちは。
いまだ壮年のごとき気概をお持ちの平方録さんが春愁・・・
「へぇ~ ほぉ~・・・」
そんなものは東北旅行で友人と美味しいお酒に出会えばすっかり晴れますね。

とうとう土筆の出番、これに出会うと桜よりも春を感じます。
食べられますものね。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「随筆」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事