それも毎朝だという。
どうやら亡くなった肉親の菩提を弔うためらしいが、それにしたって奇特なことである。
こういう立派な人物を友人に持っているということを誇りに思うべきなんだろう。
それにしても、びっくりポンである。
自ら進んでやっているというのだから驚きを通り越して感心してしまう。
そもそも、当方にとって般若心経との出会いは18歳の夏に10日ほど円覚寺で坐禅をした時が最初で、坐禅の後先など、1日に何度もこのお経を唱えるのである。
今は円覚寺の日曜座禅会に通い、坐禅の最初にこのお経を唱和している。
私にとっては、さあ気合を入れて行きましょう、というような感じの、自分自身にスイッチを入れるためのお経なのである。
それを友人は毎朝…。信じられない。
般若心経は276文字の短いお経である。
その短いお経の中に、人生の知恵、啓示というべき仏の教えが詰まっているのだという。
愚かなことだが、18歳の頃から数えれば50年になろうというのに、唱えはするがその意味をじっくり玩味したことが1度もない。
手元には松原泰道さんの「般若心経入門」をはじめ、何冊かの解説書を持っているのだが、積んであるだけである。
猫に小判とはこのことを指していうのだろう。
人サマをとやかく言える身分ではないが、松原泰道さんの本の表紙を返したところには、あの石原慎太郎が「仏が口うつしに与える一鉢の水」という献文を寄せていて、これも驚きなのである。
まったく、人は見かけによらないのだ。
金澤翔子さんの書展を見たことがあり、10歳の時の作品だという般若心経を見て、その1字1字が余りに生き生きしているのにびっくりしたことがある。
自分ではこういう風にはとても書けないと思いつつ、雑念の渦の中で坐っているより、いちど276文字を書いてみようかという気になっている。
その方がよっぽど集中できそうなのである。
円覚寺では坐禅と共に、写経もやれるのである。
般若心経の写経といえば薬師寺である。
中学生のころ奈良に修学旅行に行ってこの寺を拝観したことがある人は多分覚えているはずだが、ユーモアたっぷりに説明してくれた若かりしころの高田好胤和尚の話術は絶品だった。
その高田和尚が住職に就任してすぐに始めた、一般市民による100万巻写経の納経料を基に、白鳳時代の伽藍が蘇ったのである。
この般若心経の途方もない力というのは、そういうところにも発揮されたのである。
発願当時は、写経で寺が建つものか、と嘲笑も浴び、前途を危惧する声もあったらしいが、そんなことはどこ吹く風。
1万回の勧進法話を発願して30年にわたって全国を行脚しつづけたそうである。
それにしたって100万巻の写経も1万回の勧進法話も途方もない数字である。
高田好胤師はこの再興事業に生涯をささげたのだが、始まったのが1967年だというから大学生になりたてのころである。
知っていればぜひ写経に加わりたかった。
シラー・シベリカ
最新の画像もっと見る
最近の「随筆」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事