平方録

“箒スギは踏ん張った”

思い立って西丹沢の山奥まで車を走らせてきた。
山梨県との県境で、山奥と言ったって車で行けるのだからたかが知れている。
目指したのは住所で言えば神奈川県足柄上郡山北町中川。樹齢2000年と言われる「箒スギ」を見るためである。

わが家からは新湘南バイパス、圏央道、東名高速と走り継いで1時間40分。
大井松田インターを降りて国道246号を西に向かって走るころから、周囲の山々の新緑が目に付くようになってくる。
丹沢湖を過ぎてさらに深い山間を中川川沿いに縫って走るころになると、迫ってくる山肌の新緑はいっそう輝いて見え、俳句の季語にある「山笑う」はそれを通り越して“大笑い”状態なのが目に美しく、楽しい。

箒スギまでほぼ2車線のアスファルト舗装の道路が続くが、途中に2か所、山側は切り立った高い崖、反対側は千尋の谷になったところがあり、そこでは2車線が確保できず車1台通るのがやっとで、さすがにスリルがある。
この道は丹沢山塊の深い山懐に阻まれて行き止まりの道路である。

手前の丹沢湖までは仕事で行ったことがあるのだが、その奥の箒スギを尋ねるのは初めてである。
山肌が迫る細い谷間を抜けてきて、やや広々とした所に出ると道路正面の急峻な斜面の、道路から相当高い位置に巨木がそびえているのが目に入る。
近づいて見ると、幹が圧倒されるくらい太く大きく、背が高い。
樹高45メートル、胸高周囲12.0メートル、推定樹齢2000年の国の天然記念物に指定された巨木である。
根元に立って下を見下ろすと、すぐに転がり落ちそうな急峻な斜面に立っている事が改めて分かる。
この場所は開けているだけに、一旦風が強まったり、ましてや台風にでも襲われたらどれほどの風を受けることになるのだろう。
よく耐え抜いてきたものである。

この場所でじっと2000年もの間過ごしてきたと言われてもピンとこないが、想像を絶する時空であることは間違いない。
思いをめぐらそうにも、何も浮かんでこないのだ。
ただ、今から44年前の1972年7月、丹沢一体を集中豪雨が襲い、特に西丹沢は壊滅的な打撃を受けたことがあって、社会人になったばかりの年でもあり、強烈な印象を残したのである。
その時の新聞記事に「箒スギは残った」という記事が載った。

中川の集落を土砂崩れが襲ったのだが、箒スギの上で発生した土砂崩れは数軒の家を押し流したものの、箒スギによって土砂が二分されたため、被害のそれ以上の拡大を防いだというのである。
記事は「2000年の年輪で踏ん張った」という、やや情緒的な表現を使って箒スギを称えているのだ。

さらに明治の終わりころに大火に見舞われたことがあって、その時にも箒スギが火の手を阻んで被害を軽くするのに役立ったというエピソードを持つんだそうだ。
2度の殊勲というわけである。
箒スギ脇の手打ちそばの看板を掲げた茶店が休みで、開いていればいろいろ話も聞けたのにと、返す返すも残念だが仕方がない。もう一度くらい出かける機会があるだろう。

西丹沢では1999年8月の旧盆の最中、玄倉川の中州でキャンプしていた人たち子ども4人を含む13人が、寝ているうちに増水した流れにとり残され、岸に戻ることができず、さらに水かさを増した濁流にのまれて死亡するという事故が起きている。
前夜、警察官から危険だから河原から離れるように注意されたにもかかわらず無視し、翌朝、救助隊の目の前で次々に流されて行く場面がテレビ中継されもした。

西丹沢という地名に出会うたびに、「箒スギ」と「玄倉川」が浮かんでくるのである。






樹齢2000年の箒スギ


箒スギのある中川の集落



山が“大笑い”を始めた中川川沿いの景観
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