そんな中を昼下がりに、夏でいえば炎天下を歩く決心をしたのは路傍の花も夏とは違ったものが咲いているだろうから、そんなものでも探してみるかという気分である。
そもそも駅に用事があったのだ。歩けば風に当たる。風に当たれば何事か感じるものもあるだろう。
家を出て少し歩くと狭いながらも田んぼに出くわす。
イネはまだ青さを保っているが、やや重そうな穂が垂れさがり始めて風に揺れている。
確かこの辺りの稲刈りは10月の半ばすぎだったような気がする。
もしかしたら11月の声が聞こえそうな時分だったかもしれない。
ブランド米を生み出すような穀倉地帯が広がるコメどころとは違って、季節遅れなんじゃないかと思わせるほどの、いわば晩秋の稲刈りなのである。
遅いとはいえ、寒くなるにはまだ少し時間があるのだが、刈り取りが済んだばかりの田んぼの真ん中辺りから不要なものを燃やす焚火の細い煙が、すっかり弱弱しくなった斜めの日の光を受けてまっすぐに立ち上っていく光景などというものは農業に縁のない者にも印象的な光景なのである。
ささやかではあっても、そういう光景を目にすると何となくじ~んとするような感じにとらわれるのはボクにも農耕民族の血が流れているせいだろう。
そんなことを思い浮かべながらイネの匂いを嗅ぎながら歩いてゆく。
イネの匂いを文章でどう表現するか。
下手をすると陳腐になるし、案外難しい。
今度友人に聞いてみよう。
そうこう思いながら急な上り坂をあえぎながら上って再び坂を下る道をわざわざ選ぶのは、そこの人通りが滅多にないことと、片方の際が切り立った崖になっていて何となく他とは違った季節感が味わえるのではないかと思うからなのだが、昨日は2、3本のヒガンバナに気づいただけである。
崖の上のうっそうとした木立の塊からはツクツクボウシとミンミンゼミの声が降りかかってくるが、真夏のそれとは違って聞こえてくるのも気のせいだけではないと思う。
しばらくは人気のない小道を行くのだが、クリのイガが少し茶色になりかけてきた様子や先ほどは2、3本しかなかったヒガンバナが細い道端に群れているのに出くわしたりすると、あぁ最低条件の秋ってところだなぁとやや安心もするのである。
そのころになるともう汗だくになっていて、時折吹いてくる風が思いのほか涼しいのにびっくりさせられるのである。
それでもくしゃみが出ないのは、まだあたりの空気が温まっていて、北の大王の吐く息を寄せ付けないでいるからだろう。
特段急がなかったから45分かかって駅に着き、みどりの窓口で用を済ませようとしたのだが自らのチョンボで出直しを余儀なくされた。
まぁ時間はたっぷりある。急いだり慌てることはないのだ。
こうやって肩をすかされると急にのどが渇くのである。時刻は3時ちょい過ぎ。
ビールが飲みたくなったが、まさかレストランに入ってビール1杯だけというのも気が引ける。立ち飲み屋はまだやっていない。
缶ビールを買って飲むという手もないではないが、何せ名だたる観光地の表玄関である。
胡散臭い視線を浴びるのはゴメンなのだ。
他に用事はないのだ。観光客に交じってぞろぞろ歩く気もさらさらない。こういう時はバスに乗ってさっさと退散するに限る。
そう思って時刻表を見たら20分待つことになるので、目の前の本屋で時間をつぶし表に出て数歩あるき出したら「あれ~っ」という素っ頓狂な声がする。
キャップを目深にかぶった男の顔に目を凝らすと元会社の同僚である。
至誠天に通ず! というとこの場合は的外れは分かっているが、ビールを飲みたいという思いは天に通じたのである。
1人よりも2人の方がいいに決まっているし、店にも入りやすい。
挨拶もそこそこに、ここで会ったが百年目、オイ、立ち話もなんだからビールはどうだと聞くと相手も杉本寺から歩いてきたそうで、渡りに船だったのだ。
ペンで輪郭を描いたところに水彩を施すのを趣味にしていると言い、携帯していたスケッチブックを見せてもらったが、にわか画伯にしてはなかなかの腕前で感心した。
杉本寺はあのすり減った階段と藁ぶき屋根の取り合わせが気に入ってスケッチに来ていたんですという。
本堂の脇に林立している真っ白な旗も他の寺とは違った雰囲気を醸し出している。うん、うん。わかるわかる。
毎週水曜日にはこの町の寺や建物をスケッチして歩いているという。
そんな話で小1時間、のどの渇きもすっかり治まった。
夏から秋へ。でも暑い! 季節の変わり目だからなのか、珍しい出来事に遭遇するものである。
お稲荷さんの下の斜面にツルボがまとまって咲いている
稲穂はだいぶ頭を垂れてきた
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