日の出前は氷点下まで気温が下がったが、陽が昇り、北風さえ吹かなければ南関東の海辺の町ではそれほどの厚着は必要ない。
つるバラのせん定2日目も順調で、昨日は西側フェンスの「ローゼンドルフシュパリースホープ」をやっつけた。
脚立に上がって作業していると「こんにちは」という声が聞こえ、振り返ってみると道路を挟んだ向かいの家の次男坊とお母さんで、幼稚園からの帰りらしい。
「ぼく、お帰りなさい」と声をかけたが、恥ずかしそうに母親の顔をのぞきこむだけでもじもじしている。
小学2年生の兄貴の方は幼稚園児だった2、3年前にボクのせん定作業を見て「バラ、切っちゃうんですか」といかにも残念そうに声をかけて来たことがあるくらい、社交性というか興味・疑問に対して素直に反応していたようだが、どうやら次男坊はオクテのようである。
今年のわが家のバラは長引いた梅雨の影響で黒点病は出るは、その後の例年にない暑さのせいでくたびれ切ってしまうなど散々だった。
そんなこともあって来年の咲き具合に影響を持ち越さなければいいがと心配は尽きない。
で、せん定後に与える肥料や堆肥のうち、今年は「馬糞の堆肥」をネットで探して取り寄せてみた。
横浜イングリッシュガーデンでは随分前から「馬糞の堆肥」を使っていて、河合伸志スーパーバイザーによると牛糞などの堆肥に比べてフカフカさが違い、バラの成長にも効果が高いようだという。
ホームセンターでは手に入らないので使っていなかったが、今年はバラのダメージ度合いが大きそうなので奮発してみたという訳なのだ。
3日目の今日は玄関へのアプローチに設置してあるアーチの「伽羅奢」のせん定をしようと思うが、こいつはシュートが複雑に絡み合っているから案外骨が折れそうである。
植えてからもう既に7、8年経つ古株で、花のつき方も咲き具合も申し分ないのだが、今年は11月の中旬頃から再び咲き出し、いまだにそこそこの花を咲かせている。
元々が一季咲きで秋に咲いたことなんて一度も無かったのだが、やはり今年はどこかがおかしい。
その影響が来年に持ち越されないように願うばかりで、そんなことも「馬糞堆肥」を使ってみようと思った動機の一つなのだ。
山の神からは窓ガラスを拭いてピカピカに磨くよう言われているので、そちらも手伝わなければならない。
まっ、働かざるもの食うべからずだから隠居ロージンはせめて年の瀬ぐらい大人しく言いつけに従い、お手伝いをしなければ…という気分である。
暖かく感じられる時間帯は限られているし、体は一つだし、工夫のしどころなのだ。さてどうしよう。
せん定の合間、一息入れようと手を休め何気なく隣家沿いに目をやると、鳥が勝手に運んできたタネから芽が生えたマンリョウの赤い実の間に夏の忘れ物の「空蝉」がそのままの形でぶら下がっているのが目に入った。
古語の「現人(うつしおみ)」から「この世に生きている人間」の意味となり、転じて「生きている人間の世界」「現世」を指す言葉となっている。
それにつけてもなんともはや…の現世であることよ。
セミの抜け殻も空蝉という。
形だけはそれなりの姿かたちをしているけれど、中身は何にもなくて空っぽなんだよなぁ…
この世は空っぽであふれている。んっ?形容矛盾そのものじゃないか。
白い実のマンリョウにも
おまけのヤブミョウガ