目のレンズというのは、長いこと使っていると白濁してきて物が見えずらくなるんだそうだ。
ボクの場合も人並みに、ここ2年くらい健康診断などで白内障がありますねと言われてきていた。
実際、車を運転したりすると標識の文字が昼間でも見えにくかったり、夜間の運転が対向車のライトに幻惑されたりして、運転しずらいなぁと若干の不便を感じてもいた。
しかし、医者からはまだ手術するほどではありませんよ、と言われてきたので従っていたのだが、最近になって「白内障が進んでいますね」と指摘され、ならば! と手術してもらうことにしたのだ。
高齢社会に在っては右を見ても左を見ても団塊世代が目立つようになり、それにつれて目の汚れを訴える輩も増えているようで、じゃぁさっさと来週にでも手術しちゃいましょうネとはいかず、ほぼ2か月先の11月下旬の手術予約となった。
それだけ世の中にはマナコの汚れた人間がうごめいているわけで、それだけだって考えてみれば空恐ろしいことのように思えるのは考えすぎかしらん。
特に東京の永田町一帯にマナコの汚れた人間が多いというのが医学界はどうか知らないが、世間ではよく知られた常識である。
それで実際、澄み切ったマナコを持つ人間はその街ではとても住みずらいのだ、という話を聞いたことがあるような、ないような…
ま、あまり信じたくはないのだが、火のないところに煙は立たず――の例えの通り、その噂もどうやら間違ってはいないようで、濁るだけならまだしも最近は症状が進んでマナコが腐り始めてもきているらしいから事態は深刻さを増している。
あのまちの住民になるためのマナコ検査ってのをやるべきだと思うのだが、そういう法律を作るのもあそこの住人たちの仕事だから、どだい無理な注文らしい。
残念ながら、今のところお手上げってわけである。
ところで、検査をし、手術を勧めてくれた眼科部長の女医さんに「社会に出てこの方、見たくもないものまで見続けてきたのが濁りの原因でしょうか」と尋ねると、「きちんと直視しなければいけないことから目をそらしたりしていると濁るんだっていう説もあるんですよ」と切り返された。
ボクの来し方もそうだったんだろうか。
平知盛は壇ノ浦の源平合戦で負傷し、もはやこれまでと「見るべきほどのことは見つ! 」という言葉を残して入水したということが平家物語の記述に出てくる。
ボクも知盛のように「見るべきほどのことは見つ」という思いと共に仕事を退いたつもりだが、案外見逃してしまったことも少なくなかったのかもしれない。
ま、それはそれとして、手術によってマナコが澄み切れば、ボクの心もきっと澄み切ることだろう。
そういう期待があるのだ。
何が楽しいか、嬉しいかって……澄み切った心ってやつを自分のものにしたいじゃん!
病院への道は真夏のような雲が浮かんでいた
この運河をカヤックで漕いだこともあったなぁ
横浜のみなとみらい地区はあちこちでクレーンが活躍し、建築ラッシュの様相
さる自動車メーカーの本社ビルの中が通路になっていて横浜駅へと続いている。そこから見下ろすと展示の車がミニカーのよう
暑くてのどが渇いたので、わが最寄駅前の立ち飲み屋に寄ってレモンハイ300円とおでん2種150円でのどを潤す
ほぼ半年ぶりの看板娘? ロミシュナイダーはやや老けたけれど健在。目があってちょっとドキッとする
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