秋を生き抜いた弱弱しい赤とんぼが石に張り付いてじっと動かない。
作者は自分自身と重ね合わせているのだろうが、それにしても石に噛みついてじっと動かないという表現は印象的である。
同じ作者にはもう少しリアルな表現を使った句があって、高校の国語の教科書に載っていた。
冬蜂の死に所なく歩きけり
16歳だった少年の心に染み入って、以来、頭の片隅に残り続けている。
ボクが俳句に興味を持つことになったきっかけの句の一つである。
…と書いてきて、この先は俳句の話でもなければ、インドでいうところの人生区分の一部である「林住期」や「遊行期」のことでもない。
ただ「小春日和」を話題にしようと思ったら、こんな書き出しになってしまった。
晩秋から初冬にかけて現れる穏やかで暖かくてよく晴れた天気のことを指す言葉である。
真冬の暖かい日に使ったり、それ以外の季節でもちょっと暖かい日をこう呼んだりする人がいるけれど、あれは誤用。
晩秋から初冬にかけてというところがミソで、まさに今の季節のものなのだ。
こうして現れる天候を嬉しく感じ、愛おしいと感じてきた先人たちは日本だけでなく欧米にもいて、アメリカでは「インディアンサマー」、ヨーロッパでは「老婦人の夏」という名前がつけられている。
昨日の湘南海岸沿岸がまさにそういう日で、暖かくて風も弱く、よく晴れた日だった。
だから短パンと長袖Tシャツ1枚に薄手のウインドブレーカーだけの軽装で自転車を漕いで来たら、汗ばむほどだった。
途中でハマヒルガオの群生している砂浜に寝そべり上半身裸になってしばしまどろんだのだが、降り注ぐ太陽光線はじっと同じ方向をさらしていると肌が焼けるように熱い。
海は穏やかで波の音はほとんど聞こえず、シィ~ンと静まり返った浜辺で真っ青な空を見上げていると、そのまま天空に吸い込まれて行きそうな感覚に襲われる。
沖には伊豆大島が浮かび、天城連山が盛り上がった伊豆半島が湾にせり出し、箱根連山、雪帽子をかぶった富士山へと連なる。
金曜日の浜辺に人の影はまばらである。
半裸のまま大宇宙の片隅、青い地球の大自然の中で海の青さと空の青さにとっぷり染まっていく自分がいる。
沖には伊豆大島が浮かび
伊豆半島が相模湾にせり出す
ハマヒルガオの群落の先には箱根連山
雪の戴冠を頂いた富士山はその先
東の方角に目を転じれば江ノ島とその奥に三浦半島が突き出す
波を見ていれば飽きることもなく
優しい波が立てる音はささやきのごとく
青一色の世界が広がる
コメント一覧
heihoroku
ひろ
最新の画像もっと見る
最近の「随筆」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事