平方録

凡人は腕組みをしたまま唸るだけなのだ

気になっている詩がある。

リンゴを ひとつ
ここに おくと

リンゴの
この 大きさは
この リンゴだけで
いっぱいだ

リンゴが ひとつ
ここに ある
ほかには
なんにも ない

ああ ここで  
あることと
ないことが
まぶしいように
ぴったりだ

まどみちおの「リンゴ」という詩である。

しばらくすると、まどさんは「ノミ」を書いた。

すばらしいことが
あるもんだ
ノミがノミだったとは

ゾウではなかったとは


修行を積み重ねて悟りを得た禅宗の坊さんのようでもあるし、まだちっちゃな子がひょいと見たまま、感じたままを口にするような混じりけのない直感力の鋭さのようなものを感じさせたりもする。
この優しい言葉遣いはまどさんの詩に共通のものだけれど、表現された内容は軽いものではない。
ズシリと胸に響くという言い方があるが、それとは少し違っていて、何の痛みも刺激もなくすぅ~っと胸にしみ入ってきて、それでいてなにがしか気になって仕方がないというような不思議な作用をもたらすのである。

そしてまどさんは「ノミ」の後に続いて「ぼくが ここに」を書く。

ぼくが ここに いるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない 

もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ
マメが いるならば
その一つぶの マメだけ
しか ここに いることは できない

ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに 
まもられているのだ
どんなものが どんなところに
いるときにも

その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として


いろいろと解釈は出来るだろう。人それぞれ受け止め方は違ってくるだろう。
数学の答えとは違うのだからそれで当たり前である。
ボクのような凡人はこのような詩に行き当たると腕組みをしたまま「う~む」とうなりっぱなしになってしまうのだ。




















横浜イングリッシュガーデンの秋バラは今月末までは見ごろが続くだろう。来月11日からはいよいよ冬せん定の作業が始まり、来年の初夏までバラとはしばしのお別れとなる
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