平方録

怒りにはエネルギーが必要なんだ

94歳になったばかりの作家の佐藤愛子さんが出版した本が100万部を超すベストセラーになっているんだそうだ。

「90歳。何がめでたい」というタイトルで、窮屈な世の中を「いちいちうるせえ」と一喝する痛快エッセイだそうであある。
「なんでこんなに自分の本が売れるのか当惑している。本が売れて何がめでたい」とご本人は斜に構えているそうだけど、9歳から99歳まで2万通を超える読者はがきが編集部に届いているというからすごい反響である。
ボクはまだ読んでいないので何とも言えないが、図書館に置かれるのには時間がかかるだろうから本屋で立ち読みでもして来ようと思うのだ。
最近の本屋はご丁寧に椅子を何脚も置いているからね。

それにつけても窮屈な世の中をいちいちうるせえ! と一喝できるパワーを御身90超の作家が持ち続け、その思いのたけをエイヤッ! とつづれるエネルギーを蓄えていることが素晴らしい。
「毒づいていると私自身が元気になる。自分が元気になるように書いていたようなものです」とやや控えめにコメントしているようだが、ボクにはこのコメントのすごさがよく分かるのだ。

まず毒づくために必要なことは第1義的には表面的な出来事が目の前に出現して初めてその俎上に載せるのだが、表面的なことだけで怒りをぶっつけたってそれは私憤に過ぎなくなってしまうからだれにも相手にされないだろう。
頓珍漢なじじいがぶつくさ言いながら当たり散らしたって誰も相手にしないのと同じことで、因業じじいのように忌み嫌われてお終いである。
腹の立つような出来事がどんな理由を持って世の中に現れてきているのかということや、その寄って来たる背景に焦点を当てられる眼力やら洞察力の類が備わっていてこそ、その一喝というものも世の共感を得られるのである。
そこが肝心なのだ。

さらに忘れてはならないことは、怒るためには多くのエネルギーを必要とするという点である。
腹に力を籠めないで怒ったって、空気の抜けかけた風船と一緒でそんなものは何の役にも立たないだろう。
相手のあることなら相手をギャフンと言わせるだけのエネルギーがなくては怒りの腰も砕けてしまう。
とにかく真剣勝負を挑むのだから、それなりのエネルギーの用意は当然なんである。

もう一つ。怒りにはその明確な意図と一方で冷静さというものが備わっていなければならぬ。
だってそうでしょ。
何に対してどのような怒り方をするか。
殺すまでやるのか、腕を切り落とすところでやめるのか、それとももっと手前でやめておくか、どの程度まで怒るか。
怒りっぱなしにするのか、それともの収拾策を用意しておくのか。
何か気に入らないことがある度に駄々をこねて暴れるような、感情任せの振舞だったならばそれは聞き分けのない子供と同じになってしまう。

怒りを外に向かって発散していくと言うことは、かかくのごとく大変な作業なんである。
仇やおろそかにできるシロモノではないのだ。
年輪を経て様々な能力を身に付けたものがこれを始めると、佐藤愛子さんに対するような共感の輪が広がるんである。

見て見ろ今の若者の怒りのなさを。
休火山であるならまだ救われるが、ドロンと濁った赤い目でスマホをいじるだけの死火山同然だからアベなんちゃらが大手を振って闊歩するようなことを許してしまうんである。
それに連なるもう少し年上の大人たちも一緒だ。忘れたんじゃなくて、怒りそのものを知らない人種ってのが出来ちまってるんだよ。

愛子バアさんも似たようなことを書いているかもしれないね。

















横浜イングリッシュガーデンの秋バラは今月末までが見ごろ
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