平方録

獅子舞の谷の錦秋や如何に

ボクの暮らす街は150年間にわたって日本で初めて打ち立てられた武家政権の本拠地となり、武家文化が花開いたところでもある。、
年間2000万人を超える観光客の訪れる街でもあるのだが、紅葉の名所があるのを知っている人はごくまれである。
それも当たり前で、紅葉や黄葉の名所は全国いたるところにあって、それも一つの山というより連山すべてが錦秋に染まるなんていうスゴイ所だっていくらでもあるのだ。

そんなところに比べるとぬくぬくと温暖で、身が縮んでしまうような朝晩の冷え込みなんてものとは無縁の街の紅葉なんてタカが知れているのは分かっているが、わが街にだって一つの谷戸が錦秋に染まるところがあることはあるんである。
そこを「獅子舞の谷」という。
黄色のイチョウと紅色のモミジに埋め尽くされた谷戸となるのである。足元には細い水の流れもあって、深山幽谷の趣と言えば言えなくもないのだ。
はるか昔にこの谷に紛れ込んで上から下に降りてくる時に、真っ盛りの錦秋に出会ってびっくりした覚えがあるのだ。

ナニ? 谷ひとつだけの錦秋? 小せぇ小せぇ! と笑わば笑え。
この街はしょせんそんなもんなんですよ。小~ぃせぇんです。
しかも、もともとイチョウは自生しないし、モミジについても同様で、わが街の緑は黒潮の洗う他の地域と同様、照葉樹林が目立ち、そこに落葉の雑木が混じるという土地なんである。

それが戦後まもなく、この街に置かれた大学の先生が研究室の学生を使って植樹をした結果が今日に至っているらしいのだ。
したがって自然林ではなく、人の手が作り出した人工林なんである。
それが70年も経ってみれば自分たちの落とす葉っぱやギンナンが腐葉土に変わって土地を肥やし、南向きの温かな斜面でもあることから太陽の光を十分に浴びてスクスクと育って今では見上げる大木に育っているのだ。

例年わが街の紅葉は12月初旬が見ごろである。
それを理解しつつ出かけてみたのは、見ごろがいつごろになるのか見極めてこようという思いがあったからと、久しぶりに街の北側を屏風のごとく縁取る稜線を歩いてみたいと思い立ったからである。
稜線上をたどるのは7、8年ぶり。獅子舞の谷にもぐり込むのは十数年ぶりくらいのことである。

結論から言うとモミジはまだまだ。この分で行くとこの先の冷え込み具合にもよるが、10日とか2週間くらい先になるんではあるまいかと思う。
勤労感謝の日辺りが良いのかもしれない。
イチョウの葉は既に色づき、足元にはまばらであっても黄色のじゅうたんが広がってもいたが、色は黄色は黄色なのだが、くすんで白濁したような煮え切らない黄葉ぶりで、正直言ってがっかりした。

獅子舞の谷のイチョウに限らず、町中のイチョウの色づきも今年は真っ黄色という訳にはいかず、白濁したようなものばかりなのはどうしたことか。
加えてイチョウとモミジは一緒に色づいていたはずだが、それもズレを来している。
世の中全体の歯車がここでも狂ってしまっているようなのだ。ったく!

先の総選挙の結果やら、アジア歴訪中の45代大統領の西部劇に出てくるゴロツキみたいな言動とそんなやつの子分の振舞を見聞きしたら、それもムベなるかなのだが…




獅子舞の谷ではイチョウが色づき始め


枝を伸び放題に伸ばしたイチョウの大木が天を突き


足元にはギンナンが転がる


モミジが色づき見ごろとなるのはもう少し先の勤労感謝の日ごろか


谷を埋め尽くし


空を覆い隠すモミジとイチョウの葉を、ここでは裏側から青い空に透かして眺める紅葉狩りなのだ


谷の途中からわき出した水の流れはここまで育ち、流れ下って行く


鎌倉宮方面から直接獅子舞の谷を目指すのなら鎌倉宮の右辺の道を進み、テニスコートのフェンスの切れるところを左に曲がって川沿いに沿って進んだら亀ケ淵橋を渡って東電の鉄塔を目指し、さらに奥へ奥へと細くなってゆく流れをたどって行けばよい


天園ハイキングコースからアプローチするなら大平山の東側の分かれ道の案内表示を「獅子舞経由鎌倉宮」方面に下る


大平山の標高159.2mは市内最高峰なのだ


ハイキングコース途中の十王岩から南方向を望むと


相模湾が光り、その海に向かって段かずらを備えた若宮大路がまっすぐ伸びているのが見える






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