平方録

春雨? いえ、「春の雨」でしょう

雨だ!

いつものように4時に起き出してトイレに行ったらわずかに空いた窓の隙間から雨音? とも取れる音が伝わってきた。
たまたま通りかかった車がシャーというような音と一緒に走り抜けて行ったから道路が濡れている証拠だろう。それなりの濡れ方をしているようである。
ベランダに出て見ると確かに雨が降っている。弱い雨だがちゃんと雨足から音が聞こえて来ているから立派なものだ。

降り方が弱いと言ったって地面はしっかり濡れている。
庭に定植したパンジーやネモフィラの苗がカラカラの大地に息も絶え絶えになっていて苦しそうだったので、ちょうどよい塩梅である。
ボクもベランダに出て深呼吸してみる。
うん、さすがに空気中の水分が多いので吸い込む空気はまろやかである。のどに優しい。

まだこの時期は暖かい雨という訳にはいかないが、かと言って凍えるような冷たい雨という訳でもない。要するに何となく曖昧な雨である。
まだ夜明け前だからぼんやりとしか見えないが、周囲の小高い丘の輪郭はしっかり見えている。
これがぼぉ~っと霞むようだと、それこそ暖かな雨というイメージにぴったりくるのだろうが、まだそこまでは行っていない。
何はともあれ雪でなくて何よりである。

今の時期は二十四節気でいうところの「雨水」にちょうど入ったばかりである。
まさに「早春の温かな雨に大地が潤い目覚めるころ」に差し掛かった。
江戸時代に書かれた俳諧論書である「三冊子」によれば陰暦正月から2月初めに降るのを「春の雨」、2月末から3月に降るのを「春雨」と区別しているそうだから、さしずめ今朝の雨は「春の雨」ということになる。
旧暦になじみのない身にはすぐにピンとは来ないのだが、要するにそういうことなのだ。

実際には目立った変化を示さない季節が、わずかではあってもカタッというかすかな音と共に動く気配を漂わせるところに居合わせる幸せというか、そういうかすかな音に気づいた時の嬉しさというのはまた格別な味わいがあるものだ。
しかも、このかすかな変化というものの持つ味わいというのが、それぞれの季節によって違うのがまた面白い。

例えば大好きな夏の真っ盛りに、ふと何かのはずみで秋を感じてしまうようなことがあるが、そういう時のボクはとてもうろたえて、すぐに気は取り直すけれど若干は落ち込んだりしてしまうのだ。
我ながら笑えるのだが、「兆し」というものに対して敏感に気付くような遺伝子を残されているようで、ボクにすればどうしようもないこととあきらめるしかなくて、一喜一憂はこれからも続くことだろう。
人間関係への配慮に長けた繊細で高性能なセンサーでも遺伝子レベルで残しておいてくれたら、またボクの人生も変っていただろうなぁと、ついつい無いものねだりのボヤキを吐きつつ「春の雨」のかすかな雨音に耳を傾けるのである。








円覚寺と県道を挟んでほぼ真向かいにある東慶寺のウメ。アマチュアカメラマンが大勢訪れていたが、まだ弱冠早いようである

コメント一覧

heihoroku
Re:遺伝子を持つ幸せ
高麗の犬さま
おっしゃる通り、特に季節の変わり目の雨は香りますよね。
微妙な変化を常に身の回りに感じておられるようで、素晴らしいと思います。
こちらでは依然として初音が届きません。キリンになりそう。
高麗の犬
遺伝子を持つ幸せ
今朝の雨に香りを感じる。先日は台所の窓のはじっこに汚れてぶらさがっている季節外れのほおずき市の風鈴がかすかに揺れたのを見逃さなかった。東風が吹いた!五日間来なかった気まぐれウグイスが昨日同じ場所で鳴いた!やがてあの大音量で鳴いてくれるだろうか。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「随筆」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事