昨日はちょうど第2日曜日だったので横田南嶺管長の法話のある日で、相変わらず大方丈を埋め尽くしてなお、あふれるほどの大勢の人が寒さをものともせずに集まっていた。
管長の法話は健康にまつわる話だった。
「脳を病から防ぐ方法というのがあるんだそうですよ」
東京の駒込の病院の脳神経外科の名医は患者を覚醒させたまま手術を行い、手術中に「右手を上げてください」「握ってみてください」などと呼びかけ、その反応を見ながら手術することで、術後の機能障害などの後遺症を減らす成果を上げているそうだ。
そういう名医中の名医というような医者が、認知症を防ぐ秘訣として「感謝の心と奉仕の心が大切」と言っているんだそうである。
まるで宗教家の言葉のようではないか。実際、横田管長やらキリスト教の神父や牧師辺りがしたり顔でそんな話を始めたら、こちらとしては身構えてしまったり、眉に唾してしまったりしたくなるだろうが、近代医学の泰斗の口から出た言葉だと聞くと、オヤッと思わざるを得ない。
横田管長の対談相手だったそうで、やっぱり管長自身も驚いたらしく、話の中身にも感銘を受けたようで、6月に開かれる円覚寺の夏期講座の講師にその場で依頼して快諾を得たそうだから、その時に中身はじっくり聞いてくださいといって、管長自身は中身の説明をしなかったが、妙に気になる。
どういうことなんだろうか。
まぁ6月になれば分かることとはいえ、気になるものは気になるものである。
まず、感謝の心。
これは自分自身に対して日夜感謝していますなどと言うような人も稀にはいるんだろうが、大方は自分や自分に近い人に対する他人が示してくれる行為や厚意に対して抱く感情だろうと思う。
片や奉仕の心。
これも対象は自分自身だというような人もいるんだろうが、そういう人は勝手にやってもらって、ここではそういう人は相手にしない。
通常の奉仕の心というものは、広く世間一般、あるいは限られた特定の人に向けて示される自分自身の行為や行動を指したもので、それを際立たせるのは対価を求めないということだろうと思う。
ということになると、感謝の心も奉仕の心も自分自身はさておいて、他者を思いやるという行為に結びついたもののようである。
他者を思いやるには、ぼんやり生きていたのでは何にも気づかず、見逃してしまうはずだから、世間や他人に対して常に注意を払って眺めていくという態度が欠かせないということになる。
加えて、よしんばそこで何か気づいたとしても、「あぁそう」と思うだけでそのままにしておくなら、それは何も気が付かなかったことと大した差はないんじゃないか。
何か気が付いた時に、何か自分の力が役立つことはないんだろうかと探り、もしそれが実際に行動に移せれば……ということだろう。
と、ここまでは炬燵の中で、妻も一緒に考えてくれたのである。
そうであるなら、確かに脳は活性化するんだろう。
ただ、頭を使うだけだったら学者など机に向かっているだけの場合でもボケは防げるかもしれない。
でも皆が皆そんな真似は出来ないから、周りにたくさんいる他者との距離感であるとか、様子とかをそれとなく気に掛けていると、何か気づいてくるものがあるんだろうし、そのこと自体が脳細胞に刺激を与えるということか。
殻に閉じこもっている場合じゃないぞよ、ということでもあるんだろう。たぶん。
もう一つ。奈良の薬師寺に高田好胤という名僧がいた。
東京五輪の前に中学生だった世代にとって、関西への修学旅行で薬師寺を訪れたことのある人間なら、やたらと面白く説明してくれる若いお坊さんを覚えているはずである。後に失われていた金堂や西塔の復興を成し遂げた元管主その人である。
学識にも優れたこの名僧が残したものの一つに、般若心経から健康の秘訣を探し出してそれを要約したとされるのが3つの心なんだそうである。
「偏らない心」「こだわらない心」「囚われない心」
これなんかは、最近少しわかるようになってきた。
「感謝の心」と「奉仕の心」を合わせて5つの心を備えたら、きっとすごいことになるんだろうね。
秋田には「まんさくの花」という純米大吟醸があるんだそうだが、こちらは正真正銘のマンサクの花=円覚寺黄梅院
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