平方録

美味くて安いの言い換えが「旬」である

「新鮮なアジが手に入ったからパクチーなどと絡めてカルパッチョにするけどいいわね」と買い物から戻った妻が言う。
「ん? サバはなかったの。サバの塩焼きが食べたいと言ったのに」
「えっ、そんなこと聞いてないわ」

聞こえなかったものはしょうがない。
ジジイとババアの会話になりつつあるのかもしれない。それも致し方ないことかもしれぬ。必要があれば念を押せばいいのだ。
アジを塩焼きにしてもらい、出回り始めた茎ワカメを湯がいたもの、厚揚げを焼いたものに小ねぎを山盛りしたもの、きんぴらごぼう、キャベツの芯を薄く切ったものを卵でとじた吸い物に白いご飯の夕食を食べた。
ニッポンのつましい家庭のタダシイ夕食と言ってよかろう。

こういう場合、かつての日本人の亭主なら1本つけてくれと言い、白い割烹着をつけた妻が「ハイ、どうぞ」などと言って酌をしたりしたものである。
風邪が退散しきっていないので何となく酒を飲む気になれず、久しぶりにアルコールを抜いた。
画竜点睛を欠くとはまさにこのことで、アルコールの伴わない食事は病院食のように味気ない。

そういう訳アリの食事なのだが、茎ワカメは歯ごたえが良くて湯がいた後なので緑色が目にも鮮やかだ。目と舌で堪能させてもらった。
もちろん相模湾産である。これが出回るのは春が近づいた印である。ちょっぴりうれしい気持ちになる。
厚揚げは近所の豆腐屋のもので、これまた他所の豆腐屋のものに比べると格別においしいのだ。
しかも賞味期限が迫ると工場の裏でひっそりと何でも100円で売っていて、散歩の帰りに買って帰ったりしているのである。
庶民の味方ですナ。

しかし、肝心のメーンディッシュのアジがはかばかしくなかった。あの冷たい海でもまれ育った富山産にしてはちょっと期待外れである。
アジの旬は初夏から夏にかけてであって、秋から冬に獲れるアジは脂の乗りが良くないにきまっている。
「魚は旬を食え」と言うくらいだから、冬のアジを食って「まずい! 」と文句を言うのも見当違いというものなのだ。
サバは秋も良いけれど、寒サバという表現があるくらいだから今の季節は旬である。
急にシメサバが食いたくなってきた。
マイナス20度以下で24時間以上冷凍すればアニサキスの心配はないのだ。

と、まあ質素な食事をしながらシメサバを思うのだが、新聞にはシラスウナギが全く獲れないという記事が載っていた。
この稚魚を育てて大きくし、炭火の上に乗せるとかば焼きが出来上がるわけで、稚魚の捕獲は生命線である。
それがまったくの不漁だと言うことになると…

江ノ島が目の前に横たわる境川や引地川の河口では今頃の時期、深夜から早朝にかけてカンテラの明かりが灯り、シラスウナギを獲る光景が早春の風物詩として新聞に写真が載ったり
していたのだ。
そういえばここ数年はそんな写真も見かけなくなってしまった。

マグロが食えなくなっても一向に痛痒は感じないのだが、ウナギは困る。
今だって極たまにしか食べられないくらいに値が上がってしまっているけれどウナギのかば焼きと白焼きは時々どうしても食べたいという衝動に駆られることがあるのだ。
百歩譲っても年に2回は食いたい。1度は土用の丑の日でなくてもよいから真夏のどこかで。もう1度はそれ以外の何か特別と感じた日に…
ささやかな願いが通じる世の中でありますように。






見えているのは片瀬漁港の防波堤だが、この右手が境川の河口に当たり、今頃の時期あたりからシラスウナギ獲りのカンテラの光が灯っていたものだが…


富士山に雪が増えたせいなのか、最近の富士山は白く光るようになってきた
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