「食欲の秋」とはよく言ったもので、ここのところ体重が増え気味なのが気になる。
特に秋晴れが続くようになってからは特にその傾向が顕著で、天気が良く気持ちがいいと体もよく動かすし、腹も減るのだろうから健康な証拠で、何も悲観することでもないのだが、そこはそれ、やはり日本語には「ほどほど」と言う極めて便利な言葉があるくらいだから、この言葉を噛みしめなければならない。
夕飯は晩酌をしながらの食事だから、食事だけの場合に比べれば当然時間が長い。
したがって献立そのものが酒の肴なのだが、「よくできた」わが山の神はその趣向に沿った献立を考えてくれるから、なおさら杯が重なり、箸も止まることがないという循環が生まれることになる。
人によってはこれを「好循環」と呼び、またある人は「悪循環」と表現する。
先日はこういう状況に加えて隣町に暮らす小2の孫息子が夕ご飯を食べに来て、その食べっぷりに感心して、こちらもつい釣られ、酒も食事も量がかさんでしまった。
早生まれでしかも未熟児で生まれてきた孫息子は、同級生と比べるとまだ体が小さい。
しかし、サッカースクールや水泳教室に通って以前よりは体幹がしっかりしてきたように感じられる。
そんな目で見ていたら自分の皿の餃子5個をぺろりと平らげ、豚肉とごぼうを卵でとじた柳川もどきも美味しそうにむしゃむしゃと、何のよどみも無く胃袋に送っていく。
余りの食べっぷりに10個あったボクの餃子の皿を差し出して「これも食べていいぞ」と言うと嬉しそうに2つ取って、美味しそうに食べる♪
まさにヘェ~、ホォ~で、幼児期にはわずかの食事をデレデレちんたら食べていたのとは雲泥の差だ。随分と少年っぽく、たくましくなりつつあるのに大いに驚き、感心もさせられた。
目の前でムシャムシャパクパク、けれん味のない食べ方をされるのは気持ちのいいもので、老夫婦2人きりの食卓とは大違い。
こちらの酒と肴もいつもよりおいしくなるのは当然で、餃子が10個から8個に減ったとはいえ、晩酌には白米はほとんど食べないのだが、調子に乗って柳川もどき丼にして食べるなんてことまでしてしまった。
このケースは特別だが、それにしても秋は腹が減る。
夜が長いせいもあるが、晩酌の一滴もことのほか五臓六腑にしみわたる。
そういう季節なのだが、前述したように山の神が用意する食事が酒の肴にぴったりで美味しいのだから杯も箸もなかなか止まらない。
体重増が気になるのも当然である。
こういう場合、「罪深きは山の神」ということになるのだろうな…
腰越漁港から見た富士山
この1枚だけは境川を挟んだ西側の片瀬漁港から見る富士山