平方録

「自然」が慌ただしくなってきた

昼前から、音もなく雨が降り出した。
春雨ってやつで、周囲の景色が少し曇ったような、霞んだような、ぼわぁっとした空気に包まれる。
冬の雨と違って痛いような寒さもなく、切られるような冷たさも感じられないのが、この時期の雨である。

 あたたかな雨がふるなり枯葎(かれむぐら)

正岡子規の詠んだ句は、どこか春めいてうるんだ感じを抱かせるが、まさにそのとおりの雨が降ったのである。
春の雨はいくつも秀句を生み出しているが、日野草城にも好きな句がある。

 春暁や人こそ知らね木々の雨

まさに春眠暁を覚えず、の季節である。人はまだ眠りから覚めないうちから黙々たる木々に音もなく春の雨が降り注ぐのである。
もう一つ、春の雨を。

 春雨や降るともしらず牛の目に  小西来山

牛の見開いた目に春の雨がしみこんでいく。そう、春の雨は細くて細くて、さらに繊細なほど細いのである。


 地虫出て土につまづきおりにけり  上野章子

「草木萌え動く」とされる二十四節気の「雨水」の末候も過ぎ、もはや季節は「啓蟄」に進んでいる。
四季に恵まれた環境で育ったわれらの先祖たちの感性は繊細そのもので、「木の芽起こし」という言葉も作り出した。
木の芽が膨らんでゆくのを助ける、という意味合いが含まれているのだが、なるほど、わが家のせん定済みのバラたちは一斉に葉を広げ出したし、わが家の庭では新緑の展開が比較的早いカツラの枝をじっと見てみると、堅かった芽は確かに緩んできているようである。膨らみつつあるのだ。

ここでまた一句引用。ちょうどよいピッタリの句がある。

 一旦は赤になる気で芽吹きおり  後藤日奈夫

ほのかな笑いがあって、それでいて鋭いのである。確かに芽吹き始めに赤い葉っぱが出てきたか、と思わせるような色合いをまとって出てくるものもある。そしてこの句は木々の決意も感じさせるのだ。

同じように、この時期の雨を「催花雨」とも呼ぶ。「サイカウ」と読むのだが、口を開いて声に出して読むと、その響きは何となく心地よい感じが籠っていることに気づく。
ウメはほぼ終わってしまったが、モクレンは蕾の隙間から白い色をのぞかせていて、ぱかっと開く寸前まで来ている。ボケもユキヤナギも咲き出した。
見渡してみれば足元の名もない花も含めて、周囲の花の何と数の多いことか。
百花繚乱はもう目と鼻の真ん前まで迫っている。

広大な保存緑地の奥まった谷戸で初音を聞いたのは2月25日だった。
その後、わが家すぐ近くの池に面した自然林の中からもウグイスの鳴き声が聞こえてきたし、その数日後には、家の中にいても鳴き声が聞こえたから、行動はだいぶ活発になってきたようである。
春の雨の後の今日は冬の温度に逆戻りの1日だそうだが、しょせんはもうはかない抵抗に過ぎない。冬将軍に置かれては、往生際をよくしてもらいたいものである。

 鶯の脛の寒さよ竹の中  尾崎紅葉

 鶯の啼くや小さき口あいて  与謝蕪村

恥ずかしながらわが句も……
 
 谷戸ふかし木道わたる初音かな 



3日の金曜日に撮影したものだが、近所の林の中のマユミが早くも芽吹きだしていた。昨日の雨で葉はもっと開いていることだろう
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