平方録

声なくて花やこずゑの高わらひ

やっぱり「大桜」は見事である。

周囲の木立が伸ばす枝のさらにその先で枝を茂らせ花を咲かせている。
花ははるか上空に咲いていて、街中で眺める目と鼻の先で咲いているサクラの風情とは随分趣を異にしているが、これがまた奥ゆかしくも媚びることを決してしない山の中のサクラの真の姿なのだ。
ヤマザクラとオオシマザクラの雑種らしく、花と一緒に葉っぱも随分広がっているから下から見上げると花が隠れてしまいそうである。
そんな恥ずかしがることも無いのにと思う。

広町緑地の真ん中あたりにこの巨樹は存在する。
あわや開発の波にさらされかけ、宅地に削られようとしていた時に時の知事が動き出したのがきっかけで48ヘクタールもの広大な緑の丘陵が保全されたのである。
それ以来、この大桜は地元の人に知られるところとなったわけで、それ以前はひっそりと鳥や風や雲を相手に見事な花を見せていたのである。

もう10数年前になるが、春爛漫の夕暮れ、件の知事たち数人とまだ整備されていない山道に分け入ってこの大木の下に坐ってカップ酒で乾杯したことを思い出す。
そういう思いのこもったサクラでもあるのだ。

夜半から吹き続けていた風は朝になっても収まらない。
昨日のこの欄では西行法師の歌を引いて落花に胸が騒ぐ思いを託したが、朝食を食べ終わるとそそくさと家を出て広町緑地の「大桜」を見に出かけたのだ。
わが家からだと歩いて20分余りかかり、その間にもサクラのきれいなところばかり抜けて行くのだが、それらは帰りにじっくり見ることにしてサッサとわき目もふらずに満開のサクラの下を目的地に向かった。
緑地に到着して入り口を抜けても、今度は大桜に向かって一目散に細い尾根道や谷筋の道を伝ってズンズン奥へ進む。
討ち入りをするときの気分はかくやと思うくらいわき目もふらず、一途に歩いて行ったのだ。

細い山道は茶色の地肌をそのままさらしている。
ちょっと強い風が吹いた後や、花の終わりのころに山道に入るとまるで雪が積もったように散った花びらが山道を白く染めているものだが、そんな気配すらなかった。
咲き始めの花はしっかりと枝にしがみついているものなのだ。
今年もまた会えた。

 声なくて花やこずゑの高わらひ  野々口立圃

大桜はまさにこの句のように咲いていた。



はるか上空で花は咲いている


幹や枝はうねり、天にまで達しようとしているかのようである


照葉樹の多い海辺の森の真っただ中で踏ん張り根を張る大桜


隣には若いヤマザクラが枝を広げ、こちらの方が花自体は眺めやすい


右側の大先輩の大桜と仲良く枝を接しているのだ


この森ではサクラは照葉樹の上に伸びて枝を茂らすので、樹形の全容が見えることはまれである。従って花を見るのも照葉樹の葉の隙間からという場合が多いのだ
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