わずか数センチだけれども…
明らかに敷居を越えた‶不法侵入〟の証拠写真
(秋立つ日書ける)
目くじら立てる気なんかさらさらないんだ。
しかし朝食の後、愛用の椅子をベランダとの境に持ち出して新聞を読み始めようとしたその時、気が付いてしまったんだな。
これまでは近づこうともしていないように見えた日の光が、敷居をまたいで家の中に入り込んでいるのを…
普通、よその家に上がる場合はきちんと挨拶をして、その家の人から「どうぞお上がりください」って言われて初めて上がるもんだろ。
元々ボクだって堅っ苦しいことや形式的なことはどうでもいいやと思っているニンゲンですよ。
日常的になっていることがらならいちいち堅っ苦しい挨拶は面倒だけど、今まで関心も無かったように家の中を覗くことさえしていなかったキミが突如、断りなくズカズカ…(遠慮がちだったかもしれない)入り込んでくるとは思っていなかったんだ。
一言言ってくれさえすりゃぁよかったのに。
そりゃぁね、ボクだって知ってますよ…藤原敏行ってご仁の歌があるのも。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
詞書(ことばがき)に「秋立つ日よめる」とあるから立秋の日に詠んだ歌ですな。
現実にはまだ夏の真っ盛りだが、その中でふと感じられたほんのかすかな「風の気配」によって秋の到来を感じ取ったってところがミソなんだね。
ほんのかすかな風の「揺らぎ」だからこそ歌になるのだが、これが実際に現実のものかというと、どうもそうでもないらしい。
作者はわざわざ「秋立つ日よめる」と断っているところなどから、暦の知識を駆使した虚構の作だろうというのが、後世の研究者や批評家の見解なのですよ。
虚構と言ったって、ズバリ立秋ではなくとも、そう感じさせる日があったであろうことは、この歌の「なるほど」と頷きたくなる感性のほとばしりから明らかだけどね。
そのデンを踏襲したってわけじゃないんだけども、昨日の朝の‶家宅侵入事件〟に直面して敏行ちゃんの歌が頭をよぎったってわけですよ。
真夏の太陽め、味な真似を!…って。
今日からその立秋に入るんだってことは、もしやと思って調べて後から知ったんだけど、小癪ですなぁ、まったく。
‶不法侵入〟って言ったって、わずか数センチですよ。
かすかに家宅侵入事件を起こしてサインを送って寄越すとは…ホントにしゃらくさい。
ボクが夏大好き人間と知ってのことだろうけど、大きなお世話だって言うの。
いくら図々しい人間のボクでも夏がずぅ~っと続くなんてこれっぽっちも思ってやしませんから。
分かってますよ。でも今は盛夏ですよ盛夏、正真正銘の盛夏 ♪
誰にも邪魔されたかぁありませんね。