平方録

海彦と山彦

今年はひょんなことから干し柿を作る羽目になった。

それも100個超ずつ2度に分けて210数個も。
ベランダの陽だまりで渋柿の皮をむくこと数時間。さすがに包丁は使わず、ピーラーと呼ばれる皮むき器を使ったのだが、ひたすら黙々と柿の皮の山を築いていく。
皮をむき終えた柿が数個たまると、ヘタに残された枝の一部に紐を巻き付け、1本の紐に13、4個くくり付けると軒下にぶら下げていった。
これを何度か繰り返すと「柿すだれ」の完成である。

渋いうちは心配ないのだが、数日間干すと甘くなってくる。そうなると鳥がつつきに来るらしいから、ホームセンターで防鳥用の網を買ってきて「すだれ」を覆ったから準備は万全である。
初回は防鳥網の効果なのだろう、鳥に突かれることもなく甘く干しあがり、大いに満足したものである。
ところが2回目に、胸にネクタイを締めた小柄なシジュウカラがやってきて、あろうことか網の一番下にしがみついて網の下から出ている柿を突っつき始めたのである。

まぁ、考えようによっては、鳥にも認められる甘い干し柿が完成したというべきで、半分は喜んでもいいのである。
しかも、憎たらしいヒヨドリではなく、やってきたのはなかなか愛らしいシジュウカラである。食われかけたやつは紐から外し、竹に突き刺して植木鉢に挿しておいたら、時々突っつきにやってきていたが、そのうち固くなり、近寄らなくなった。

干し柿用の渋柿は東北の友人の実家の庭にある柿木に生ったものである。
去年あたりは、完成した干し柿を送ってくれていたのだが、「そちらには東北と違って湘南の明るい陽光がいつもあるだろう。『原産は東北、加工は湘南』の干し柿を手作りしてみないか」とそそのかされ、あたかも「自分のことは自分でやれ」とでも言われたかのようで、「いや、湘南の陽光は干し柿のためにあるのではない」とかなんとか言えればよかったのかもしれないのだが…。

一度目というものはビギナーズラックなのだろう。干し柿に限らず、大概うまくいくものなのだ。今回もそうだった。生まれて初めて手作りした干し柿は少し硬めにできたのだが、それは甘く仕上がったのである。
しかし、2度目は決して油断したわけではないが、半分以上にカビが現れ、やむなく捨ててしまう羽目に。
吊るし始めた翌日に1日中雨が降り続いたのが原因ではないかと思っている。

妻が知り合いに尋ねたところ、やはりカビでうまくいかなかったという話が出てきたのだ。
雨が降らなくたって南寄りの風が強く吹くと、波しぶきとなって空中に拡散した塩分が陸地めがけて飛んでくる街である。
鎌倉・湘南など海沿いの地域では塩害は侮れず、たとえ塩が含まれていなくとも、湿気とは常に同居状態なのだ。そこは宿命と思って割り切るしかない。
そういえば、干し柿の産地に海沿いの地域はなかったような気がする。気象条件というのは、侮れないもののようである。

その代わり、魚の干物は海沿いの街のものである。むしろ、潮風が当たった方がおいしく出来上がるのではないか?
新鮮なカマスを買ってきて肚開きにし、天日に干したものをお礼に送ったら喜ばれたのである。
わが家でも食べてみたが、カマスの淡白な味は干すと凝縮されるからおいしくなるのである。薄塩ながら、まずまずの出来上がりだった。

気をよくして第2弾としてアジの干物づくりをしてみたが、こちらはわざわざ相模湾に面した漁港まで買い出しに出かけたのだが、全く脂の乗っていないアジだったためか、できあがたものは何ともパサパサで、あんなものは猫も食わないだろうという代物になってしまった。
これには随分がっかりしたが、魚屋が「脂はこれからだよ」と言っていた意味がよく分かった。
植物であろうが魚であろうが、口に入れるものには季節と天候というものとが密接に結びついているということを、改めて知らされたのだった。

かくして海彦山彦の第一話はこのあたりでおしまいである。



107個がぶら下がった「柿すだれ」。このあと防鳥用の根とを張った
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