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平方録

あの電話ボックスを右に曲がってください

わが家から100mほど離れたところに公衆電話ボックスがある。
えっ、お前さんは一体どこに住んでるんだ。今時電話ボックスがある街なんて…と驚かれるかもしれない。
現役時代には夜遅く酔っぱらって帰って来る時など、タクシーの運転手さんに「この道を行くと正面に電話ボックスがあるからそこを右に曲がり、すぐ左に折れて左側4軒目の門燈の点いている家の前で停めて」といえば、間違いなく門前に着くことができた。
「公衆電話ボックス」あるいは短く縮めた「あの電話ボックス」という名刺の使い勝手の良さはこの上ないものだったと言っていい。
ところが…
先日の総選挙の投票日、投票に行くため山の神とこの電話ボックスの脇を歩いて通り抜けようとして、ボックス内にあった緑色の電話機がないことに気が付いた。
電話機のないがらんどうの電話ボックス…空気の保管庫⁉
四方がガラス張りのボックスのボクらが見ていた側とは反対のところに張り紙がしてあって「こちらの公衆電話ボックスにつきましては、撤去する予定でおります。長い間ご利用ありがとうございました」「公衆電話ボックス番号〇〇〇48」と書かれたNTT東日本の張り紙がしてあった。
携帯電話を持っていなかった頃、出勤する際に忘れ物に気づき、この電話ボックスから100m離れたわが家に電話して山の神に伝え、玄関を出たあたりの路上で受け渡してもらって時間を節約したりするのに役立ったことはあるが、そんなのは一回あっただけの話で、ほかにこの電話が役に立ったという覚えはない。
そんなわけだから、電話ボックスがなくなっても困らないはずである。
ましてや、今は携帯電をいつだって携行しているのだから。
それなのになぜか、大切なものを失ってしまったような喪失感が大きく胸を塞ぐ感じがしてならない。
普段は見向きもしないのだから身勝手な感想だということは分かっているが、あるのが当たり前のものが、いざとなったら消えてしまうということの虚しさとでもいうのだろうか。
ヒトという生き物はつくづく身勝手だと思うが、似たような体験をしていてこれで2度目である。
丸形の赤い郵便ポストのことだが、全国で姿を消し、一本足の角形のポストに置き換えられて行った時も、なぜかわが地域はこの幼少期から慣れ親しんだ丸形のポストが残されていたのだが、それもついに数年前に姿を消し、角型に変わってしまった。
どうして変える必要があるのかと、あの時も思ったものだった
こんなことに関心が行くということは自分自身が古びてきたことと無縁ではなく、いずれは自分も…というのが世の定めであるからジタバタしても始まらないが、感慨深さはそこそこのものがある。
まだ雪は降ってこないが、遠くなったのは明治だけじゃない。昭和も遠くなりにけり、ということだろう。
 
ちなみに2020年3月末現在の数字で見ると、全国にある一般公衆電話機の台数は約14万6000台だそうだ。
このうちの10万9000台が「戸外における最低限の通信手段」を確保するするためのユニバーサルサービスとして、電気通信事業法施行規則等で設置が求められた電話機だという。
ただし携帯電話の普及などもあって公衆電話そのものの利用が減少しているため、2022年度から必要最低限の設置台数の削減が始まり、今回の撤去もこの方針に沿ったもののようである。
大災害時などには携帯電話はほぼ使い物にならず、公衆電話こそ役に立つんだけど…
 
 

すでに電話機が撤去されてしまっているわが家近くの公衆電話ボックス
 
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