水道の蛇口からほとばしり出て来る水っていうのは、あんなに狂暴な音を立て出てきたっけ。
水を手に受け止めて顔を洗おうとすると金属的で固い音がするんだけど、水ってのはあんな音がしていたっけ。
この文字列を書き出すために指で打ち付けているキーボードってのは、カチャカチャカチャカチャと、かくも大きな音を出すものだったっけ。
とにかくボクの耳に届く音がどれもこれもでかくてやかましい。
何より特徴的なことは聞こえてくる一つ一つの音がやけにクリアに耳に届くことだ。
別の言葉で表現するなら、一つ一つの音がとがっている。
そのとがった先っぽがとにかく気になってしょうがない。暴力的ですらある。
とがっていさえしなければどうということも無いのだろうが、とにかくとがっているのだから気にも障るし、どうしようもない。
みんなこんな暴力的な音に囲まれて平気で暮らしているんだ。
初めて知ったよ。
ここ数日、耳の奥に薄っすらと痛みを感じることがあった。
特に聞こえない方の左耳の痛みが勝っていた。
炎症のようなことが起きているんだろうと思ったが、放っておいて治るものならいいが、やはり何らかの手当てが必要なんだろうという気がしてきた。
脳にも近いことだし、面倒なことになるのは困る。
それで夕方近くになってようやく重い神輿を上げ、近所の初めての耳鼻科の門を叩いた。
あれやこれや丁寧に症状を聞かれ、ま、とにかく診てみましょうということになり、耳の穴の奥を覗いた途端、医者は安堵のこもった言い回しで告げたものだ。
「あぁ、耳垢が原因のようですね。石のように固くなって詰まっていますよ」
左耳の垢は粉々になって出てきたが、右耳のそれは耳の穴の形がしっかり残ったややヒョウタン状の形をした2センチほどの、まさに「耳栓」がすっぽりと出てきたのだった !
これにはさすがにボクもビックリで、記念に写真に撮らせてもらったほど。
ボクはどこでどう間違えたか知らないが、耳掃除は必要ないと決め込んでいたのだ。
だから耳掃除なんて自分ではしたことも無い。
小学生くらいまでは母親の膝枕でしてもらう耳掃除がとても気持ちが良かった記憶があるが、あれは耳が気持ち良かったのか、膝枕そのものが気持ち良かったのかと言えば多分に膝枕だろうと思う。
母親の膝というのは妙に安心感に包まれた場所なのだ。
50代の初めだったと記憶しているのだが、飛行機の離着陸の時の気圧変化で耳が痛くなったことがあり、つぎに乗る時にまた痛くなったらいやだと思って耳鼻科で診てもらったら、やっぱり耳垢が原因だったことがあった。
自慢じゃないが、その時以来だから20年近く耳垢掃除はしていない。
それであんなに立派な耳栓をして長いこと暮らしてきたのだから、すべての音がくぐもって聞こえていたというわけだ。
耳栓をしていたものだからテレビの音は良く聞こえないから音量を上げていたし、リビングにいるボクに向かって台所から妻が何か言ったって聞こえやしない。
水道の蛇口から勢いよく流れ出る水だって春の小川のサラサラとした柔らかな流れの音でしかなかったのだ。
挙句の果てに妻はどこからか補聴器のパンフレットなど持ってきてボクの机の上に置くありさまだ。
それが…
医者に言われた。
「耳垢は奥から押されて出てきますから、年に3~4回でいいですから、耳の入り口付近だけでも竹製の耳かきでかき出してください。そうすればここまでの耳栓は出来ませんから」と。
加えて「耳の機能の検査もさせてもらいましたが、まったく問題はありません。若くてとてもいい耳です」。
どうよ。
それにしてもよく聞こえるね。
家では素足でいるが、歩く時に床板と足の裏の皮膚がこすれる音なんか聞いたこともなかったのが、今ではそんな音まで聞こえるんだ。
着替えをするときの衣擦れの音だって、聞きようによっては色っぽいものだという印象だってあるというのに、そんなものどこへやら。
今ではガサガサガチャガチャ、金属の鎧を着込もうってわけじゃあるまいし…
これまでの人生、とかく「雑音」に悩まされ、惑わされることも少なくなかったが、如何に雑多な音に囲まれて生きていることか。
音がクリアカットに聞こえるようになって、世の中がかくも騒々しいことにいささか呆れている。
騒々しさにもいろいろあるけどね。
かくして、老境と言われる年頃になって視界はクリアになるは、聴覚は鋭敏になるわで、見たくないもの、耳にしたくないものまでこれでもかと突きつけられるようになるとは思わなかった。
いっそさらに研ぎ澄ましてみるか。
20年かけて作り上げた「耳栓」。長さ2cm、直径は鉛筆くらいの太さ
これをしていたのだから多くの雑音はカットできたけれどね…
見出し写真は05:02に一瞬現れた朝焼け