冗談やレトリックの類ではなく、実感なのである。
特にわが家の寒さは骨身にしみる。
どういうことなのか。
去年から今年にかけて、いつもなら沿岸に近づいて流れる黒潮が大蛇行していて、遠州灘辺りから急激に南に進路を変えて、関東の沖では八丈島のはるか南を流れていることと無縁ではないのかもしれないが、「黒潮の洗う地方は温暖」という通説が今年ばかりは当てはまらないような気がしてならない。
加えて、暖冬予報が見事に外れ、わが鎌倉で1月下旬に氷点下4・6度を記録したほか、3日連続でマイナス気温の冬日となったのだから、体感とは別に、記録上も「寒い冬」を証明しているのである。
しかも、平泉や米沢などの雪国と違って、街も住宅も寒冷地仕様にはなっていないから、一旦寒さがやってくると防御はいとも簡単に破られてしまうのだ。
なすすべがない、といってよいくらいである。
それぞれの部屋にエアコンがついているが、すべての部屋でエアコンを使い、テレビを見たりすれば、そこにちょっとアンペアを食う家電製品の動きが加わると、その途端にブレーカーが飛んでしまう。
アンペア数を上げれば解決するが、基本料金も上がってしまう。
だから暖房は通常、リビングにしか入れていないのだ。
2011年の東日本大震災で極度の電力不足に見舞われた首都圏では、今でこそ、のど元過ぎれば何とやらで、いささか怪しくななってきているが「節電」が合言葉になり、ライフスタイルに定着しかけたはずである。
ウソつきで無責任な電力会社のお陰で、大変な目に遭わされたのである。
原発事故の後始末は始まっているものの、これから先何十年もかかるというのに、出だしから順調とはいえないようではないか。
それでも懲りずに、隠し事だって沢山しているに違いない。
棘が喉の奥に刺さったままなのに、ノーテンキに大切なエネルギーを使うわけにはいかないんである。
パソコンを置いてある場所にはエアコンの代わりにわが家で唯一、ガスストーブを置いているから、ここはガスさえ使えば暖かい。
リビングもエアコンに加えて二つに分けてガスの床暖房を施しているから、床暖房を点火すれば経済的にも安上がりで、ほんのりした暖気に包まれる。加えて掘りごたつに潜り込めば言うことはないが、欠点は炬燵に一度入り込んでしまうと、トイレに立つのもおっくうになることである。
かといって雪国のように家全体をほんわか温めるなどということは土地柄、贅沢すぎる。炬燵のシミもやむを得ないのである。
米沢で教えてもらったルーツに関する書物を図書館に探しに行きたいのだが、あいにく月曜日は休館日で、おまけに外はどんより曇っていて庭仕事にも適さない。
サカタのタネから届いた請求書に従って、首にマフラーを巻き、とぼとぼと歩いて郵便局まで振り込みに行った以外、炬燵のシミになって過ごすよりほかないのである。
赤い鼻緒のじょじょ履いたみいちゃんのように、春を待っているのだ。
春の兆す? 浜田広介記念館の庭=山形県高畠町
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