今はぴっかぴかに光り輝いているが、数カ月もすればこの輝きは消えてだんだんくすんでゆき、いずれは薄い緑色の、いわゆる緑青色に変化して行くはずだ。
そう思えば、滅多にない機会である。その変化を眺めるのも面白いかもしれない。
銅ぶきというのは耐久性に優れているはずだから、葺き替えと言ったってこの寺で前回行われたのは100数十年も前のことだろう。随分と珍しいものを目にしたことになる。
この春は長谷の大仏の健康診断直後の胎内にも入ってきたし、わが家のカツラに沢山の花が咲きそうだし、案外よい兆しなんじゃないかと感じているのだ。
安保法とかいう名前の「戦争法」の施行が29日に決まり、自衛隊が海外のどこに出掛けて行っても武力行使が可能になるわけで、今さらながら平和憲法がありながらなぜこういう結論に到達するのか、まったく理解不能だが、とにかく戦後の日本の一大転換期を迎えるのだ。
良い兆しか、などと浮かれてノー天気にしているうちに、国民はあらぬ方へと誘い込まれてゆきかねない。
同日選も現実味を帯びてきているようだが、ここはしっかり政権党にお灸をすねなければならないだろう。
アベなんちゃらにやりたい放題をさせておくわけにはいかない。野党がだらしないから…なことは分かりきったことだが、それでもその野党の尻を叩くしかないんである。
ともかく、一度この不穏な流れを断ち切ってから考えるという選択肢こそ、現状ではベターな方策なのだと思う。
現政権が衆参両院で3分の2の議席を占めるような事になれば、「主権在民」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3大特徴を掲げる憲法は、国民を縛りつけるための憲法に書き換えられる恐れが強いのだ。
それは何としても食い止めなくてはなるまい。
さて、話をもどそう。
一体、本堂の屋根を葺き替える工事にどのくらいの費用がかかるものか、その辺りは見当もつかない。
又聞きだが、どうやら檀家に対しては、この件に関する寄付の要請はなかったようである。
工事費は自前で積み立てていたのだろうか。
葺き替え期間を考えれば月に1万円づつでも積み立ててゆけば100年で1000万円を楽に越える金額が貯まることになる。
そういう確かな計画性を持った和尚さんがいたに違いない。
この寺は観光コースから外れているうえに、創建も15世紀末と時代が下り、何かと地味だが、花の寺なのである。
まずウメが咲き、続いてモモが咲く。本堂真後ろの裏山の一部がまるで屏風のように立っていて、そこをツツジが覆う。見事なツツジの屏風が立つのである。
そしてツツジが終わると手前の池のスイレンが咲き出し、山門付近にはハスの鉢が並ぶ。境内中の芝生の緑も際立つ。
今年はこれらに屋根の変化が加わるのだ。散歩の楽しみが一つ増えることになった。
葺き替えが終わったばかりで、春の陽射しを反射しながら青空に映える銅ぶき屋根
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