われわれが暮らすこちら岸が迷いの世界であるのに対して彼岸は悟りの世界を現していて、仏教はこちらの世界からあちら世界へ、迷いの世界から悟りの世界へ至るように努力することを説いているんだと円覚寺の横田南嶺管長から教わった。
その彼岸に至るには「六波羅蜜」という6つの行いが必要だと説かれていて「布施(ふせ)」「持戒(じかい)」「忍辱(にんにく)」「精進(しょうじん)」「禅定(ぜんじょう)」「智慧(ちえ)」のことだとも。
では「布施」とは何か。
大乗仏教で大事なの布施で、人に何かを施してあげることを指す。で、施しには物を施すこと、教えを施すこと、安らかな心を施すことなどがあるという。
次の「持戒」は戒を保つことで、基本は生き物をむやみに殺さないこと、人の物を盗み取ることをしないこと、うそ偽りを口にしないこと、男女の道を乱さないこと、酒に溺れて生業をおろそかにしないこと――を心に刻んで習慣づけることを説いている。
3つ目の「忍辱」は堪え忍ぶこと。思うようにいかないことがあっても堪え忍び、怒りをあらわにしないことで、これも大事な修行だと横田管長は言う。
4つ目は「精進」。これは日常語にも登場するが努力すること。命ある限りは怠らずに努力を続けることが修行だそうな。
5つ目の「禅定」は心を静めること。
最後の「智慧」とは真実を見抜いていくための知識であり、ものの捉え方、考え方のことでもあるらしい。
このことを釈宗演老師は「布施は手の如し、持戒は足の如し、忍辱はこれ腰、精進はこれ脳、禅定は即ち心、智慧は即ち目」であると説いたんだそうな。
細かな説明は省くが、いずれの体のはたらきのすべてを統括するのが心であり、禅定とはまさにその心を調えることなのだということが分かる。
禅宗ではこの禅定を最も大切な修行としていて、修行によって正しい道理を明らかにする智慧が身に付くのだという。
そんな七面倒くさい修行なんか放り投げて、既にあちら岸に渡っているご先祖さまたちを春と秋にお参りして、我らもつつがなくあちら岸に渡れるようにお願いするための行事って側面もお彼岸行事にはありそうじゃん。
智恵者てのはどんな世界にもいるもんだしね。でも肝心なのは「六波羅蜜」ってこと…
ボクも高校3年生の夏に初めて円覚寺の門をくぐらせてもらい居士林で10日間ほど「禅定」のまねごとをして以来、社会人生活の間の40年を超えるブランクを経て再び「心を静めよう」と日曜日の坐禅会に出かけているという訳なのだ。
それにしちゃぁ六波羅蜜のどれをとっても満足にできていない自分に気づかされるのだが、まぁ慌てることもないだろう。時間はたっぷりあるのだ。
そう言い聞かせている所なのだ。
わが家から歩いて15分くらいの場所にウメとサクラに囲まれた比較的広い畑地が広がっている。県道や市道から離れているから車はおろか、人も滅多に入り込まないポツンと取り残されたような場所である。
写真に写っている方角とは反対方向の一角で崖を削って宅地開発が行われた関係で獣道のような通路が塞がれてしまっていたが、何とか道は残されていて久しぶりにたどってきた
ウメは盛りを過ぎていたがサクラの大木も何本かあり、また楽しみが復活する♪
こちらは市道沿いの畑地脇だが河津ザクラ? が満開になっていた
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