もともと夜はぐっすり寝るタイプで、最近では夢を見ることはまれなのだが、それでもたまに、心に引っかかることや不安がある時などは夢を見る。
フロイトを勉強したことはないが、見る夢はいつも大体決まっていた。ただ年代によってみる夢は違っていて、記憶では5年とか10年が一つの夢が現れるサイクルだったようである。
社会人になる以前に見ていた夢のことは覚えていないが、社会の荒波にもまれるようになった頃にしばしば現れた夢のことは覚えている。
それは、重大な犯罪を犯したボクが逃亡を始める夢である。
一度も捕まらなかったのだが、その夢を見るたびに、捕まれば極刑だなと思っているから必死で、あわや見つかってしまいそうに追い詰められたりして、もう駄目だっ!と観念しかけると、決まって目が覚めたものである。
目覚めた時には汗をかいていて、実に不快な気持ちにさせられたものだ。
この夢は社会人生活の前半の20年間くらい続いたと思う。
ひょっとして一種の強迫観念というようなものがあったのかもしれない。
仕事をスタートさせたころというのは何事によらず不安なものだし、仕事が少し分かりかけてくると、今度はライバル社とのし烈な競争関係の最前線に立たされるのだから、なかなか神経の休まる時がなかったと言っても過言ではなかったのである。
当時見ていた夢は多分、そうした不安やその他諸々を反映したものだったんだろう。
ここ20数年というものは、そうした決まった夢を見ることはなくなり、というか、夢もあまり見ないようになって、夜はいつもぐっすり寝入っていたんである。
だから、最近たまに見る夢はすぐに忘れてしまうような夢で、バラ色の夢ではないにしても、嫌な夢を見たという印象も取り立ててないから、僕にとっては平和な時が流れていたんだと思う。
これは歓迎すべきことじゃぁありませんか、というところなのだが、どっこい、今朝がた見ていた夢は汗こそ書かなかったが、同じような夢を繰り返し繰り返し見ていたような記憶がある。
文字化してみると、九州行きの寝台特急に乗る予定なのだが、汽車に乗る前に泊まっていたホテルを出るにあたってフロントに鍵を返却しなければならない。
しかるに、フロントがどこにあるか分からないんである。
で、いろいろなところをウロウロ探し回るのだが、皆目分からない。列車の出発時刻すらあいまいになってきて、早く鍵を返そうともがくばかりなのだ。
そんな時にエレベーターで上の階に行けばフロントがあるだろうと思ってボタンを押すと、開いたドアの奥がトイレだったりするのである。
ここで目が覚めて、実際トイレに行ったのだが、本当に思うようにいかず、不安といら立ちの混じった夢だった。
こんな嫌な夢を見させられる理由というのが、昨夜から続いていたのだから、夢というものは正直なものである。
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