今回は「来ない?」という友人の誘いに乗っての旅だったのだが、予め行き先を言わない「ミステリーツアー風にしたい」と言うものだから、連れていかれた先々で「へぇ~」「ほぉ~」の連発だった。
予備知識を持たない旅というのは初めてだが、たまにはこういう旅も悪くはないなと思った。
そしてこの日も行き先は告げられずに出発し、どうも途中で予定変更があったようだが、雪深い月山の山懐にある西川町岩根沢を尋ねることになった。
そこは戦時中、妻の祖母の弟の詩人・丸山薫が疎開していて代用教員を務めていた場所なのである。
かつて1度、サクランボのシーズンにやって来て記念館を見学し、薫が教壇に立った小学校の校庭にも立ち、残されていた足跡の数々に触れて大いに感激したものだった。
今回は雪深い里の表情を肌で感じるのと、雪国の人たちが春の到来を待ちわびる中でそれを見つけて大いに喜ぶという「雪中のマンサクの花」を探しに行ったのだ。
「まんさくの花」
まんさくの花が咲いた と
子供達が手折って 持ってくる
まんさくの花は淡黄色の粒々した
目にも見分けがたい花だけれど
まんさくの花が咲いた と
子供達が手折って 持ってくる
まんさくの花は点々と滴りに似た
花としもない花だけれど
山の風が鳴る疎林の奥から
寒々とした日暮れの雪をふんで
まんさくの花が咲いた と
子供達が手折って持ってくる
結論から言うと岩根沢の集落にはまだ60~70センチの雪が残っていて、マンサクの花は見つけられなかった。
今回の道中ではできるだけ注意をしてどこかに咲いていないか探してきたのだが、やっぱり見つけることはできなかったのだ。
友人の推理によると、いくらマンサクが早春の花と言っても、こんなにもたくさんの雪が残っていては咲けないんじゃないか。多分、あの詩に出てくる雪は残雪で、この辺りでマンサクが咲くのは4月の初めころではないか、というのだ。
実際に雪に埋もれた山里の家々を目の当たりにするにつけ、友人の推理にも「なるほどなぁ~」と納得が行くのである。
まだ雪に埋まったままの岩根沢の集落
集落内の道路端にはまだこんな雪壁が
集落内の道路からは光り輝く朝日連峰が見渡せる
少しズームしてみる
丸山薫記念館はまだ冬季閉館中だった(右側の建物。左は公民館)
小学校は既に廃校になっているが、割と新しい体育館は残されて集落の集会場のような施設として使われている。校庭に下りる階段下にはライン引きがポツンと取り残されていた
月山の山懐を離れ寒河江市内の寒河江公園に立ち寄ると東に奥羽山脈の峰々が延々と続く大パノラマが広がる
手前の市街地は寒河江、その奥に広がるのが山形市街地。そして山形市の左には天童、東根の各市街地、さらには…と村山地方の大盆地を手のひらで掬えそうである
蔵王の峰々も
公園の反対側に回ると、ついさっきまでいた月山の大きくなだらかで悠揚迫らざる落ち着いた山容を見ることができる
写っている枝はオオシマザクラでつぼみもだいぶ膨らんできていたから、サクラの花越しの真っ白な月山もまた見事だろうと思う
そしてこちらは葉山
かくして、雪国の山形は市街地をのぞけばまだ真冬だよという友人の言葉を裏付けるような景色を見てきたのだが、マンサクの花はまだだったとはいえ、山里にも春の息吹を随所で感じ、季節は急激に春へと向かって突っ走り始めたのを実感した旅だった。
書き残したことも多々あるので、続きは続編で。
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heihoroku
ひろ
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