あれから50年になる。
アポロ11号が月を回る周回軌道に達し、軌道上を回る司令船から切り離された月着陸船「イーグル」に乗り込んだニール・アームストロング船長とバズ・オルドリン月着陸船操縦士の2人が人類初の月面着陸に成功し、ピョンピョン飛び跳ねて見せる映像を信じられない思いで見たのは1969年7月20日のことだった。
そのアポロ宇宙船の乗組員3人が中部太平洋上に無事着水し、帰還を遂げたのが24日のことである。
それから10日も経たない8月2日、ボクらは入れ替わるように東京晴海ふ頭を出港し、アメリカ西海岸までの太平洋を往復して横浜港へ戻る37日間の洋上大学船の旅に出たのだった。
高度経済成長期の真っただ中、新聞配達員の確保に困った大手新聞社の一つが、大学生に1年間朝夕刊の新聞を配達してもらう代わりに船を仕立てて当時まだ簡単でなかった海外渡航を実現させるとともに、船上での講義を通じて識見を高めてもらおうという計らいだった。
乗り組んだ講師陣というのも、今思うとキラ星のような気鋭の学者やジャーナリストたちで、特に論説主幹を務めていたMさんのゼミでは随分刺激を受け、その後の進路に大きな影響を受け、人生を決定づけることになったことは、この際、特に記しておきたい。
背中を押されたのだ。
あの時押されていなかったら違った人生を歩んでいたかもしれない。
そして、同じ船に乗り組んだ仲間男女400人が半世紀を経た今年9月、記念の集いを東京で開くことになった。
どれだけ集まるかはわからないが、きっと盛大な集いになるのではないかと今から楽しみにしている。
ただ、音信不通の仲間もそこそこいるようで、現にボクが仲良くしている友人のIのところには連絡のハガキが届いていなかった。
Iに知らせると大いに喜んだが、こういう人も少なからずいることだろう。
このブログが目に留まるといいのだが…
そう言えば、開催の通知が届く2、3週間前に今年1月に書いたブログを読んだという見知らぬ人からコメントが届き、「同じ船に乗り合わせた〇〇です。50年の集いが決まったら是非教えてください」と書かれてあった。
今回幹事を務めている女性と伊豆の温泉旅館でばったり会って、今年が50周年で記念の集いを計画していることを聞かされ、そのことを書いたブログをネット上で引っ掛けたらしい。
〇〇さんにはとてもいいタイミングだったと思う。
虫の知らせというのか、何かが匂ったのかもしれない。
50年の節目というのはこうした偶然も重なって、人知の及ばない不思議な力を発揮してくれると助かる。
より多くの仲間の元に知らせが届き、より多くの仲間が集まってくれることを願っている。
わが家でもハンゲショウが色づき始めた♪
見出し写真は一株90円で買ったノンブランドのミニトマトが鈴なりに実をつけ初め、色づいてきた ♪
セイジの仲間も咲き出した