大晦日は出かけていた姫の一家が戻ってきて、これに長女の一家も加わってにぎやかな年越しとなった。
現役時代はごくわずかの例外を除いて大晦日を休んだ記憶がなく、除夜の鐘が鳴ってしばらくたたないと家には帰れなかったので、紅白歌合戦を横目で見ながら孫たちに囲まれている光景は新鮮といえば新鮮である。
この日はボクにも大役があって、年越しそばをふるまう職人を務めたのである。
引き立て打ち立てのそばを急速冷凍した絶品のそばが山形にあり、これを取り寄せていたので、ゆで立てを供すべく胸まであるエプロンをしめてロックの焼酎を片手に台所に立ったのである。
能書きにはいっぺんにゆでるのではなく、一人前ずつゆでてさっと冷水にさらせ、などと書いてあるので、数回にわたる手早い作業が必要である。
幸いなことに「おいし~い!」という声が台所にまで届いてきて、「当然でしょ!」という気分である。喜んでくれたのなら何よりである。
孫たちが寝てしまった後、しばらく婿ドノたちの話を聞いていたが、姉の一家も帰ってしまい、11時過ぎにはベッドにもぐりこんでしまった。
早寝早起きの原則は崩したくないのである。
ロックの焼酎を飲み過ぎたのか、今朝はベッドから抜け出すのに若干の決意が必要だったが、逡巡は数秒のことで、顔を洗いキーボードの前に坐れば、あとはそれなりに指が動いていくものでもあるのだ。
前日には元旦には何を書こうかとチョッピリ考えてみたが、結局まとまらなかった。
一年の計は元旦にあり、などと力んでいたのは若いころの生気あふれるあふれる時代のものである。
そういう時期を過ぎてしまえば365分の1に過ぎず、特段に改まる必要もないんである。
披瀝するような、あるいは胸に刻むような決意も、正直言って何もないんである。
淡々と言えば淡々、ズルズルといえばズルズル。
アベなんちゃらに憤慨し、アメリカの動向やらなにやら世界情勢に注意を払いつつ、「応無所住而生其心」の心をもって暮らしていくだけである。
そして、何よりも孫たちの成長を楽しみに見守っていく。
まぁ、こんなところでしょうかね。
わが家の「ノリコ」
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