パソコンの脇に卓上カレンダーがある。
円覚寺で買ったもので、ひと月ごとの曜日に並んで横田南嶺管長の揮毫が添えられているのがミソ。
このカレンダーがすでに8枚目が開き、残りが4枚しかないことに改めて驚かされる。
今月の揮毫は次の14文字である。
よしあしの 中にこそあれ 夕納涼
難しい言葉は一つも使われていないのだが、どういう風に解釈すべきか…
ネットで調べるとすぐに色々出てきた。
その中にはおあつらえ向きに花園大学総長の肩書で書かれた横田南嶺老師の解説があった。
曰く「現実の世界は、是非善悪の価値判断がつきまとう。しかし、仏法の世界は、是非も善悪も越えている。そうかといって、現実を離れて超然としているものでもない。この現実の中にいながら、善悪を越えた世界を味わうことだ」と。
う~む…
別の言い方で説明しているブログがあった。
曰く「『善し悪し(よしあし)の中』とは、『善し悪しの主張紛らわしく、暑苦しいところ』すなわち、この我々の人間界を意味しています。そこから逃げるのではなく、その真っただ中にあってこそ、この涼しい夕風が楽しいのです」と。
仙厓義梵(せんがいぎぼん)という江戸時代の臨済宗古月派の禅僧で、禅味あふれる画風の画家としても知られたお坊さんが描いた絵に添えた画賛だということも分かった。
なかなかとぼけた坊さんだったらしく、色々ドキリとさせられたりクスリとさせられるものまで、画賛をはじめ残した言葉も多彩なようで、博多ではよく知られた存在だとか。
例えば…
坐禅して人が仏になるならば
気に食わぬ風もあろうに柳かな
秋の夜は唐まで月の外にまた
鶴は千年 亀は萬年 我は天年
ぐるりっと家を取り巻く貧乏神 七福神は外に出られず
よかろうと思う家老は悪かろう もとの家老がやはりよかろう
六十は人生の花
七十歳でお迎えが来たら「留守だ」と言え
八十歳でお迎えが来たら「まだ早すぎる」と言え
九十歳でお迎えが来たら「そう急ぐな」と言え
死にとうない(辞世の言葉)
今日もまた雨が降り続くらしい。
コロ公は依然大暴れが続く。
神奈川は東京を笑えないくらい連日感染者が増えていく。
そしていよいよ関東全域に緊急事態宣言が拡大する。
関東平野はコロ公天国。
全国にも飛び火が始まって…
こういう夕納涼の世界は嬉しくもなんともないが、「現実の中にいながら善悪を越えた世界」とやらを味わうことにいたしませう。
(見出し写真は、わが家で一度咲き終わったのに再び花を咲かせ始めたアジサイ)