去年1年間使ったお守りを返しに行くという山の神について鶴岡八幡宮まで行ってきた。
本来なら初詣の時に古いものを納め、新しいお守りを手に入れるんだろうが、何せ大晦日から三が日の初もうで客の数が百万人単位になるのだから、本殿までたどり着くのに2、3時間待ちは当たり前で、ジジイとババアはそんなところにはおいそれとは近づけない。
それで元旦は近所の氏神さんへ、そして1月も20日を過ぎてほとぼりが覚めたころを見計らってお札を納めに行っている。
今年はそれが昨日の30日だったということ。
別に神道を信仰しているわけでもなく、クリスマスになればジングルベルのリズムに反応するし、寺の門前に差し掛かれば何となく頭を垂れて手を合わせるのもいとわない。
そんな調子だから、神社に詣でるなんてことも日常的な数多ある所作の一つに過ぎないのである。
こういう無意識が支配している「所作」であっても、忘れてしまうと何となく居心地が悪く、のどの奥に刺さった魚の小骨のように気になって気になって仕方ない。
だから「去年もやったし今年もやっとかなくちゃ」と、いそいそ出掛けて行くことになる。
昨日は昼少し前に行ったのだが、本殿に上がる大階段の手前の舞殿に大勢の人が座っていて、神主から何やらお祓いを受けている。
ナンジャラホイ?と思ったら「厄除大祭」という26日から31日まで開かれている行事だった。
節分を前に、厄除けを祈願しておくと災難に遭わずに済むということらしい…
そして自分の名前を書いたお札を舞殿脇に作られた焚火にくべて災厄を燃やして煙にしちまおうって寸法のようだ。
わが山の神は、その光景を見てボク同様に信じてもいないのに、慌てて去年1年間身近に置いていたお守りを返納所に返しにいった。
例年だと本殿にお参りしてから階段を降りたところにある返納所に返していたのだが、なぜか本殿に行く前に納めたのは焚火の火が燃え盛っていたのと無縁ではないと思う。
まっ、いずれにしたって返納所に返すタイミングなど大した問題ではない。
かくしてボクらも新年を迎える諸行事を済ませてホッとした気持ちに浸るのである。
そして当然ながら腹が減る……敵は本能寺にあり♪
1月も30日になると平日ということもあって人出は極端に少なく、お札を返すには好都合
舞殿に何やら大勢の人が…
舞殿の脇では囲いの中の焚火が燃え盛っていて、破魔矢などがくべられていた
神主が一人、強くなりだした西寄りの風にあおられながら祝詞を上げ始める
ひとりだった神主はいつの間にか3人に
オレンジ色の炎が立ち上る
すると舞殿にかしこまっていた人々が降りて来て炎の周りをまわりながら、お札をくべ始めた
厄を焼き払うんだそうな
数年前の大風で倒れてしまった大イチョウの後に生えたひこばえの中でスジの良いものが遺され、後継者としてすくすく育っている
本殿
これが昨日の「本能寺」♪
漫画のフクちゃんの作者横山隆一や映画監督の小津安二郎ら鎌倉在住の作家・文化人連中が足しげく通った天ぷら屋の昼天丼
小振りのエビ2尾、たっぷりのアナゴ、アナゴの骨センベイ、インゲン、ナス、サツマイモと蔵出し新酒の濁り酒♪
大昔、用事のある母親にくっついて外出するとデパートのお好み食堂に連れて行ってもらえ、普段見ることも無い食事にありつけた
昨日もそのデンでくっついていったのである その心情は子供のころとあまり変わっていない気がする
それにつけても忘却の彼方ではあるけれど…「昭和も遠くなりにけり」