平方録

モノを大切にする心

姫が竹トンボを持ち出してきて、これで遊ぼうという。

よく見ると2、3年前にまだ幼稚園に通っていたころ、鎌倉の寺で庭師の人がくれた手製の竹トンボである。
大切にしまってあったらしい。
外で飛ばすと、これが実によく飛ぶ。適当な風が吹いたりすると、風に乗って空高くまで上昇するのだ。
キャァキャァいって遊ぶのである。

この子はプレゼントされたものは大切に保管しているのだ。
多分気に入ったものだけなんだろうが、それにしたって、物持ちが良いのだ。
ものを大切にするということは大切なことで、美徳の一つである。
だから、じいじがあげたプレゼントなどはよほどかさばるもの以外は大切にしまってあるようで、時々これはじいじがくれたんだよね、とこちらが忘れてしまったようなものまで、ある日突然、目の前に出てきたりするものだから、その都度驚かされるのである。
記憶力も良いのだ。

姫の部屋に行ったら、なにやらガサゴソ取り出してきて差し出してきたものがやはりそうだった。
東京の下町でもう随分前に見つけた伝統的なおもちゃで、竹の棒に糸で結び付けられた木製の仕掛けを勢いよく回すとブンブンうなり出し、蝉の鳴き声そっくりになるおもちゃである。
実際、妹君の目の前で回して鳴らしてみたところ、手足をばたつかせて喜ぶのである。
単純極まりないが、昔の素朴なおもちゃの実力はたいしたものなのである。

ただ、このものを大切にする心と、不要なものを見極めて身の回りを整理整頓する姿勢とはきちんとわけて身につけるておく必要がある。
なんだって捨てないで取っておけば、いずれ使い道のないガラクタの山に埋もれることになってしまう。
確かに子供のうちはなんでも大切にとっておきたいものなのだ。

私自身も「宝箱」と称して、今思えばビー玉からビールの王冠のような類のものまで後生大事にとっておいた時期がある。
だから誰でも一度は通る道なのである。
もらった先から放り出してしまうようでは、かえってそちらの方が心配である。

しかし、これが大人になってまで続くようだと、いささか差し障りが出てくる。
ゴミ屋敷になりかねないのだ。
姫の父親がいささかその傾向があるようで、そういうDNAは引き継がないでよろしい。

実は、身の回りのゴミ(ガラクタの類)の重さは心の重さを表しているんである。
禅の心というのは執着心を捨て去ることである。
禅の大切な教えの一つだが、心にひっかかりがあるとゴミの量ががうず高く積み上がっていくのである。
そして、あらゆる執着から逃れられなくなって苦しむことになるのだ。

姫にもそうした傾向が現れるようだったら、教えてあげなくてはならない。
まだ大丈夫。今はものを大切にする心を磨くときである。




ゴーカートで遊び、姫にはハンドルとブレーキ操作を全面的に任せたが、彼女は暴走族気味なんである。キャァキャァいってハンドル操作だけ、ノーブレーキでカーブを曲がろうとしたり、もっとスピードを出して! とメイレイするのである
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