何せ、高浜虚子をして「鎌倉を驚かせたる余寒あり」という秀句を詠ませた土地である。
しかし、ついにと言うべきか、大型連休を目前にしてようやく「寒さ」というものと縁が切れたようで、もう気温が10度を下回るような予報は見当たらなくなってきた。
考えてみればそれも道理で、大型連休中か連休を過ぎたころにはホトトギスが卯の花の咲いた垣根にやって来て忍び音をもらす季節なのだ。
季節は早、夏なのである。
その夏の到来を知らせているのか、はたまた催促でもしているつもりなのか、一昨日の夜から昨日の昼頃にかけて猛烈な勢いで雨が降った。
その降り方は豪快で南側の窓に激しく打ち付け、100メートルほど離れた近くの小山が霞んで見えないくらいである。
スマホ画面には「洪水警報」が届き、防災無線も雨の音にかき消されながら何事か叫んでいる。
激しい雨に行動を制約されたこともあるのだが、ハイドンの交響曲「太鼓連打」に鼓舞される? かのように衣替えに着手したんである。
「いくらなんでももう冬の寒さが戻ることはあるまい」という判断も背中を押した。
さすがにもう長袖の下着の出番はないだろうし、厚手の冬物シャツなんてものも半そでのポロシャツなどと入れ替えである。
一部しか出さないでいた20本近い短パンもすべて出した。短パンだけはいっぱい持っている。
6月が衣替えなんていつの時代の話であるのか。時代も季節も「ごっとん」と音を立てて動いたのだ。
ボクは決して衣装持ちではない。いつも妻から「気に入ったものがあれば買いなさいよ」と言われる口である。
つまり面倒なこともあるのだが、いつも同じものをとっかえひっかえ着回しているだけで、結果、持っているものの大半以上は眠りっぱなしということに相成る。
だから入れ替えをしていると「こんなの持ってたんだ」とか「こんなのいつ買ったんだろう」「こんなの金輪際着ないぞ」などと〝発掘〟やら断捨離やらが入り混じって、時間ばかりかかる。
おまけに、気に入ったものが発掘されるとファッションショーなども始めたりして「よし、今年はこれも着てみよう」などと得した気分にも浸るのである。
寒さが厳しかった冬の間、他にもあったはずなのにと思いつつ、ほとんどは暖パンのGパンばかり履いて過ごしたのだが、持っていたはずの暖パン2本がきれいに洗濯されたままの状態で引き出しの奥から出てきたときは、秋に木の実を枯れ葉の下に隠してそのまま忘れて放置してしまったリスの気分になったものだ。
引き出しの奥から妙な芽が出てこなくてヤレヤレである。
いや待てよ、もうすでに芽が出ているかもしれない。わが家でも今年花を咲かせたが「ボケ」という名の灌木の芽が。
わが家のヤマボウシの花が大きくなってきた。別名「ミルキーウエー」という名もあてがわれているらしい。そういえば梢を覆いつくすように咲く姿は天の川の星々に見えなくもない
今朝の「空蝉」
今朝の「名無し」
わが家のボケ(3月14日撮影)
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