見出し画像

平方録

えぇ~っ!

 危惧していたことが的中してしまった。
見出し写真に掲げた文章は北鎌倉にある東慶寺のホームページに掲載されたものをスクリーンショットしたものだが、一昨日から境内の撮影を禁止したことを知らせている。
「禁止します」とか「ご遠慮いただきます」ではなく、「お控えいただきます」という文言に静かだがきっぱりとした決意がうかがえて、相当に腹を立てていることがうかがい知れる。
見物するのを楽しみにしていた本堂裏手の岩壁に密生するイワガラミの公開終了を告げる「お知らせ」を6月1日に見たばかりで、ブログに「何ということか?!」と嘆いたばかりだったから、その後の展開の性急さに驚くばかりである。
 
「撮影禁止」を告げるこの文言に続いていくつか禁止に至った理由を挙げているので、抜粋してみる。
「お寺であることを忘れ、本堂をお参りしない方も多く、足元に咲いている花や苔を踏みつけ、進入禁止の場所に入り込んだり、勝手にものを動かしたり、見境がない人も出始めました。」
「何より残念なことは、特に考えもなく、とりあえず撮影してしまう癖が付き、目の前のことに対して、『心』で感じるのを忘れてしまったことです。」
「東慶寺では2年前より、境内環境の向上を目指し、水脈などの改善活動『大地の再生』に取り組み始めました。その成果は如実に表れており、植物の表情はもちろんのこと、境内の空気が明らかに変わり、参拝客や寺に住む我々の心までも穏やかにさせてくれます。神社仏閣の境内が美しく、豊かであるべきなのはこのためなのだと分かったのでした。」
「参拝者の皆様にも、この空気の変化を肌で感じ、ご自身の心のあり方を大切にしていただきたいのです。」
「心をはぐくむのも寺の重要な役目と思い、決断いたしました。何卒ご理解いただきたく、お願い申し上げます。」
 
確かに、言われてみればもっともなことが指摘されている。
例えば参拝者の4人に3人は本堂を素通りしてしまっているように、ボクには感じられていた。
特に数人で連れだってやってくるような人たちにその傾向が強いように思う。
彩色された目鼻立ちの整ったお顔の釈迦如来坐像が好きなせいもあるが、ボクは毎回靴を脱いで本堂に上がり、御本尊の前にかしこまって手を合わせてくる。
本堂に上がってご本尊の前にかしこまれる寺は鎌倉でも数は多くない。
そして、以前は山門のところで徴収していた拝観料をここのさい銭箱に収めるのである。このことは山門下の階段の登リ口のところに書いてある。
本堂を素通りしてしまう人々は当然、拝観料も払わないことになる。
そういう人たちに限って、おそらく宗教施設であることを忘れがちで、しかも足元も顧みずにカメラのファインダーをのぞくことに夢中になって寺の関係者の怒りを買い、嘆かわしさを募らせてしまってきたのだろう。
単なる「通行人」ならば、そうなりかねない。
 
そんなわけだから、今回の寺側の措置について、ある程度は理解できるし、理解したいとも思う。
ただ、いきなり写真撮影禁止にまで踏み込むのではなく、助走期間というか、事前にもう少ししつこく注意を促す「警告期間」のようなものを設定するとかして様子を見てもよかったんんじゃないかとも感じる。
「それだけ腹に据えかねていたということ!」と言われれば、反論の余地はないが、いささかエキセントリックに過ぎる気がしないでもない。
 
去年の秋、ここの境内でこんな光景に出くわした。
コロナがだいぶ鎮まって、小学校などの校外活動が再開されつつある時期で、近隣の町の小学生の遠足に出会ったことがある。
小人数に分かれて散策する方式らしく、7、8人の男女児童がイチョウの葉が舞い散る静かな境内に「だるまさんが転んだ」の声を響かせて遊んでいた。
すると売店にいる女性が出てきて教師を捕まえ、「ココは宗教施設です。遊び場じゃありません。どんな教育をしてるんです」ときつい口調で詰問したのだった。
教師は剣幕に気圧されたか、平謝りでペコペコ頭を下げていたが、怖い所だと思ったことだろう。
良寛さんや一茶を例にするまでも無く、寺と子供の関係は切っても切れないんじゃないかと思っているボクは、むしろ子供の歓声が聞こえる寺には好感さえ感じるのだが、そんなのは通用しないんだなと、いささか呆れたものだった。
第一、本山の円覚寺は境内で幼稚園を経営しているし、建長寺だって境内に中・高一貫校を持っている。
東慶寺は円覚寺派の禅寺で、ボクも坐禅の真似事は随分してきたが、例え子どもの歓声が聞こえて来たって、そんなものは邪魔にもならない。
そもそも集中して坐っていると、外の音なんかめったに聞こえなくなるものなのになぁ…と思ったものだ。
 
このケリはどうやってつけるつもりだろう。
このままずっと撮影禁止だとすると悲しい。
 



久しぶりに近所の池と森の公園まで散歩してきたが、やはり足はまだ痛む


往きは150mごとに小休止を挟みながら、えっちらおっちら進むしかなかったが、帰り道は幾分か慣れたようで500mを休むことなく戻って来れた


木道の両脇は半夏生




ぜぇ~んぶ半夏生


まだ白い化粧は現れていない


花穂?はチラホラ出始めていた


イトトンボにじっと見つめられていた


ヒメコウゾの実
 

秋になると深い紺色に色づく
 
 
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「随筆」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事