JR琵琶湖線の能登川駅からバスに揺られること十数分、家並みが途切れて広々とした田んぼが広がるはるか先に甍が光る大きな屋根の家々が立ち並ぶ光景が見えて来た。
ひょっとすると、あの集落が近江商人の中でも豪商と呼ばれる人々を多く輩出した五箇荘町の金堂地区かもしれない…
そう思っていたら、「次は金堂」という車内放送が聞こえた。
目指すところは、こうして遠くからでもよく目立つところだった。
五箇荘の金堂というところに行ってみたい…そう思ったのは司馬遼太郎の『街道をゆく』の「近江散歩」を読んだのがきっかけだった。
そしてそのあとすぐにNHKBSで見た六角精児の「呑み鉄本線日本旅」という番組でも金堂地区をぶらついて昼ご飯を食べるところが放映され、背中を押されたのだった。
司馬遼太郎はこんな風に記述している。
「そのようにして近江路を歩いていたころ、神崎郡の田園のなかで五箇荘町という古い集落にまぎれこんだことがある。
この町のうち、もと南五箇荘村と呼ばれた村は、近江におけるいくつかの大商人の輩出地の一つとして知られている。その村の字に、金堂という集落があるが、私がまぎれこんだのはその集落だった。歩くうちに、この田園の中で軒をよせあう集落ぜんぶが、舟板塀をめぐらし、白壁の土蔵をあちこちに配置して、とほうもなく宏壮な大屋敷ばかりであることに驚かされた。建て方からみて、明治期の屋敷が多いかと見られたが、どの家のつくりも成金趣味がかけらもなく、どれもが数寄屋普請の正統をいちぶもはずさず、しかもそれぞれ好もしい個性があった。いうまでもないことだが、カネのかけ方に感心したのではない。たがいに他に対してひかえ目で、しかも微妙に瀟洒な建物をたてるというあたり、施主・大工をふくめた近江という地の文化の土壌のふかさに感じ入ったのである。
この金堂の集落を歩くうち、
『外村』(とのむら)
という家を見た。やはり明治の建築家かと思われるが、抜きんでて軽快で、清らかなる色気をさえ感じさせた。ふと、女人高野といわれる大和の室生寺をおもいだした。外村家の塀は世間の塀概念に比べてくらべてひどくひくく、石垣もたおやかで、優しさが匂い立っていたが、さらにいえば匂うことさえ遠慮しているというふうだった。ひょっとすると、近江的感覚の代表的な民家ではないかと思ったりしたが、建てられた年代をきこうにも、鍵がおり、なかは無人のようだった。
このとき、不意に、この家は当時すでに故人だった作家の外村繫(1902~61)の生家ではあるまいかと思い、たまたま通りかかった老婦人にきくと、
『そうどす』
と、語尾をとくにはねあげた近江ふうの京ことばで答えてくれた。外村繁はこの家の三男に生まれ。長兄が江戸期以来の本家の外村家を継ぎ、次兄が早世したため、心ならずも相続人になったといわれている。(以下略)」
これを読んでしまったら、せめて一目、自分の目で確かめないではいられないではないか…
司馬遼太郎が訪れた時とは違って、今は公開されている外村家の小座敷
机の前に座るとこういう景色が広がる
ボクにもこういう小部屋と景色があれば芥川賞の候補作くらい書けただろうに
この人が外村繁
2階の客間 司馬が言うように、確かにシンプルかつ瀟洒な造りの落ち着いた部屋になっている
また、客間からの眺めが見事の一言に尽きる
見事な植木越しに甍の波が続く
隣は外村本家
見渡す家並みは大きく立派なものばかり
外村邸の前の通り
左が外村邸で、めぐらされた舟板塀の背丈は確かに低い
左が外村繁邸、右が外村本家(今は一棟貸しの宿泊施設になっている)
外村本家の舟板を使った塀の一部
よく見ると船底に切られた跡が残っている
♪粋な黒塀見越しの松に~
金堂地区はどこを歩いてもこんな景色ばかり
集まる浄財の額が半端なものではないようで、集落の中に立つ浄土真宗弘誓寺の立派なこと
需要文化財の本堂
脇から眺めた境内の佇まい
集落にはあちこちに奇麗な水の流れる掘が張り巡らされている
大きなコイも
こちらも大きくて立派な大城神社
朝ドラの撮影によく使われるそうで数年前の「カムカム杁バディ」や現在放送中の「ブギウギ」にも登場しているそうだ
神社前の通りの佇まい
このように、この集落はどこをどう歩いても目に入るのは豪邸ばかり
しかも成金趣味とは無縁の目立たないように目立たないように、という控えめなものの考え方に裏打ちされて…
ただし、ここで見たものは過去の日本を良い所であって、今でもこうした考えのかけらでもどこかに残ってるんだろうかと、気になる
道端でおしゃべりしていたおばあさん2人にバス停を訪ねたら、丁寧に教えてくれた
その言葉遣いや抑揚が、たぶん司馬が耳にした「語尾をとくにはねあげた近江ふうの京ことば」なのだろうと思うと、少しうれしかった♪
集落から離れた田んぼの中に立つ小学校と思われる建物も随分立派に見えた
六角精児が番組の中で食べて大満足したいた自然薯と手打ちうどんの昼ご飯を食べようと思ったら、コロナ禍で客が来なくて営業を止めてしまったそうで、仕方なく彦根まで出て近江ちゃんぽんを食べる
これはこれで美味しかった