平方録

梅雨は明けても足りねぇものが…

去年より一週間、平年より22日も早く、観測史上最速とやらで先月29日に関東甲信地方の梅雨が明けて4日目。

「けれども足りねぇものがあるぅ~♪ 」と深まる秋に厭戦感を潜り込ませたサトウハチロー作詞の「モズが枯れ木で」の一小節が口を突いて出てくるのはセミの声をまだ聴いていないからである。
夏大好き人間にしてみれば梅雨明けが早いのは大歓迎で、このまま9月一杯までたっぷり夏を楽しませてもらいたいと願いつつ、それにしたって梅雨が明ければセミの大合唱だろうに! と思うのだが、まったくもって静かなのが物足りない。

セミたちが寝坊しているというより、余りに梅雨明けが早いものだから起き出してくる態勢が整っていないのかしらんなどと思ったり、はたまた、きっと目覚まし時計の設定を平年通りの7月上・中旬辺りに設定していて、まだぐっすり寝ているところなんだろうと勝手に納得したりもする。
セミ一族がそうであっても、何となく地中の温度が上がってきて寝苦しくなって寝ざめかけている神経質な奴がぼちぼち寝ぼけ眼で現れてもよさそうだなぁなどとも思うのだ。

今朝も午前4時に起き出して空を見上げたが雲一つない快晴で、既に東の空は輝き始めている。
となるとここまで明るくなる前に、夜のとばりが退散し始めたなと思うその時をとらえてヒグラシが一斉にカナカナカナカナと澄み切った音を出して、それが大きな波のうねりのように大きくなったり小さくなったりしながらしばらく続くのだが、「兄さの薪割る音がねぇ~♪ 」と一緒なのだ。

夕方もまた然り。
日が傾き、ヒグラシたちが住みかにしている木々の間にようやく和らいだ太陽の光が斜めに差し込み始めると、それを合図にまたカナカナカナカナと今度は涼しげに響くセミしぐれが始まるのである。
この夕方のヒグラシのセミしぐれは特別で、心の奥底にまで響いてきて、じっと落ち着いてなどいられなくなるような気分にさせられることもしばしば。心が揺り動かされるっていうのはまさにこのことなんだろうなぁと感じるのだ。
「あの」セミしぐれには懐かしさがあって特に好きである。が、これはジジイになって年を重ねたからそういう感情を抱くのではなくて、小学生のころからそう感じて来たことなのである。

うだるような暑さの中で聞くアブラゼミのジージーという鳴き声もまた暑さを倍加させるようで、これはこれで夏になくてはならない伴奏音なのだ。
セミどもの声が聞こえてこないと本当に夏になったのか、疑わしい。
いつまでも寝ぼけてないで、ぼちぼち起きてきて鳴き声を聞かせておくれよ。
夏はうるさいくらいなのがちょうどイイのだ。



間もなく夜が明ける。こういう日の出直前の限られた時間帯にヒグラシが一斉に鳴き出すのだが……


国道134号線の稲村ケ崎付近の海側の歩道が下水工事の影響で2年余りも閉鎖されていたのがようやく解除になり、通れるようになった。自転車の通行も可能なのでのんびり海を見ながら走るのに格好なのでパトロールを兼ねて円覚寺の坐禅の帰りに寄り道してきた


7月1日は鎌倉の由比ガ浜、材木座海岸共に海開き


この日はどことなく霞んでいて葉山もぼんやり。三ケ岡と呼ばれる低い山に南西の風が当たり、そこで出来た雲が筋を引いて斜めに伸びている。一定の方向と強さを持った風が吹く夏によくみられる現象である。確かに夏はきた!


稲村ケ崎から見る江ノ島もぼんやり


134号の江ノ電鎌倉高校前駅の交差点改良工事で道路を海側に拡張して右折レーンを設けた関係で車線の幅が以前より狭まり、自転車は車とすれすれに走らなくてはいけなくなった。渋滞はだいぶ解消されたのだが自転車が走りにくくなったのは残念至極なのだ


円覚寺の龍隠庵に続く階段脇の砂岩の崖に蕾をつけたヤマユリが風に揺れている。何の養分もなさそうなところで良くも蕾をつけるものだと感心するが、別の株だと思うのだが去年も花を咲かせていたので感心しきりである。一茶の「やせがえる負けるな一茶これにあり」を彷彿させる光景ではある
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