11月1日 東京都『町田市民文学館』で開催中の 八木重吉展 に行ってまいりました。
きっかけは新聞による開催の案内があったことからでした。
新聞に 八木重吉 の名前を見たときに忘れかけていた記憶がよみがえってきました。わずか29歳で夭折した詩人です。
それは40年余り昔 高校の合唱団に所属していた時に出会った曲でした。
雨 と云う男声合唱組曲で 多田武彦 作曲 6曲からなる組曲の第6曲が八木重吉の作詩による 雨 でした。
雨
雨のおとが きこえる
雨がふっていたのだ。
あのおとのように そっと世のために
はたらいていよう。
雨があがるように しずかに死んでゆこう。
You Tubeなどから視聴できます
決して長い詩でもなく 麗句で修飾されているわけでもないですが、私の心のずっととどまる詩になりました。
また多田武彦氏の作曲で、一層情感の増すものとなっています。氏も「私の臨終における鎮魂曲として、私の心の奥に、刻み込まれてしまった。」と述べています。
それ以来ずっと八木重吉の人となりを知りたい気持ちはありました。しかし年月が経つうちにその記憶も見え隠れするようになっていました。
そこで新聞を見るなり行ってみようと思い立ちちょうどその日は学芸員の方の解説もありましたので、よい機会に恵まれました。
重吉は明治31年に現在の町田市相原町に裕福な農家の5人兄弟の二男として生まれ、豊かな自然風土の中で育った。勉強家母の影響もあり二男でもあることから教師への道へと進み東京高等師範学校(現筑波大学)に進学、英語も堪能なことからキリスト教と出会いその後洗礼を受ける。
24歳の時に、その後妻となる嶋田とみと家庭教師として出会う。一方で教師になることに失望した重吉は、詩の創作活動に入る。
信仰心を軸とし自然や家族への愛など当時不治の病とされた結核と闘いながら亡くなる5年間の間に3000余りの詩を詠った。
あまりにも不十分な略歴で申し訳ないが、おそらく信仰心と詩の創作が共存し死に対し正面から向かっていたのだろう。
私はすでに彼の倍生きている…
「私の詩」
(私の詩をよんでくださる方へささぐ)八木重吉
裸になってとびだし
基督のあしもとにひざまづきたい
しかしわたしには妻と子があります
すてることができることだけ捨てます
けれど妻と子はすてることができない
妻と子をすてぬゆえならば
永劫の罪もくゆるところではない
ここに私の詩があります
これが私の贖(いけにえ)である
これらは必ずひとつひとつの十字架を背負ふてゐる
手をふれることもできぬほど淡々しくみえても
かならずあなたの肺腑へくひさがって涙をながす
―「晩秋」
会期;12月25日まで