昨日、カシャンという場所へいき、シモン神父をお見舞いに尋ねた。シモン神父とは、アルジェリア人のソエイブという友人宅で、ニコルと一緒に出会った。もう13年前になる。一時は、毎週のように、私の家に来て、私の友人にパソコンを習ったり、コンゴの歴史を私と友人たちに話をしたり、退職していたが、ボランティアで、ライエアローズというところにある老人ホームで、神父としての仕事をしていた。最後の最後まで、お金に関係なく、仕事をしていた。でも、フランスの神父に比べて、コンゴの神父とは、身分、待遇が違うことを嘆いていた。
私は、詳しい話はわからないが、今のところも、月に2300ユーロを払わないといけないといわれたらしい。これは全く不思議なことだ。
なぜなら、ライエラローズで、神父として仕事をしていて、道でたおれ、救急車で運ばれたのだから、何らかの措置が必要なのではないかと思った。シモン神父一人で払える額ではないし、ここに移ってから病気になったのであるから、神父としての身分、待遇で、治療をしてもらいたい。
昨日,4階ある老人ホームでみたところ、各階とも、朝起きたら、テレビの前に椅子をもってきて、座らせていた。一人ではないが、何かグループで何か刺激になるようなことをしているかというとそうではないようだ。それでは、ただ、いきているだけになってしまうのではないだろうか。
昨日は、今までのシモン神父と今見る現実の老いたシモン神父との違いの大きさにショックを受けた。私にとっては、人類学者で、博士号も取り、いつも話し好きで、玄関を出るまでも話し、玄関を出ても話しているシモン神父だった。よく私のところに来てくれて、必ず、アーモンドの入ったクロワッサンを持ってきてくれた。昨日は、4人分買って持って行った。食べれるらしいから、よかったと思った。
弟も神父をしている。弟へいつも誰かを介して、お金を届け、小学校へ子供が活けるようにしたり、学校の先生に、お金を払わなければ学校には行けないそうだ。道で遊んでいる子供が多いと聞く。
内藤美知子さんがまだ、いきていたころは、通訳の仕事で得たお金を全部、1)子供の生活・学校支援活動 2)シモン神父の家族にいる戦争孤児たちへの援助 3)職業訓練センターへの援助 と3つに分けて、私はそれをしっかり受け取り、翌日やってきたシモン神父に渡したのだ。内藤美知子さんの行動も、だれにでもできることではない。自分のことばかり、考えて生きていくのが普通だ。遠いアフリカのことを考える創造力のある人は少ないが、やはり存在しているのだ。このことに私は、感動した。
それをシモン神父に話すと彼も驚き、内藤美知子さんみたいなことができる人は少ないという話をシモン神父といつもしていた。
その貴重な存在だった内藤美知子さんも去年亡くなり、シモン神父も病気になり、半身まひになってしまった。今日は、よく集まった私の自宅での楽しかった日々を思い出して、少し寂しくなった。
また、新しい仲間ができるだろうと信じている。
私は、詳しい話はわからないが、今のところも、月に2300ユーロを払わないといけないといわれたらしい。これは全く不思議なことだ。
なぜなら、ライエラローズで、神父として仕事をしていて、道でたおれ、救急車で運ばれたのだから、何らかの措置が必要なのではないかと思った。シモン神父一人で払える額ではないし、ここに移ってから病気になったのであるから、神父としての身分、待遇で、治療をしてもらいたい。
昨日,4階ある老人ホームでみたところ、各階とも、朝起きたら、テレビの前に椅子をもってきて、座らせていた。一人ではないが、何かグループで何か刺激になるようなことをしているかというとそうではないようだ。それでは、ただ、いきているだけになってしまうのではないだろうか。
昨日は、今までのシモン神父と今見る現実の老いたシモン神父との違いの大きさにショックを受けた。私にとっては、人類学者で、博士号も取り、いつも話し好きで、玄関を出るまでも話し、玄関を出ても話しているシモン神父だった。よく私のところに来てくれて、必ず、アーモンドの入ったクロワッサンを持ってきてくれた。昨日は、4人分買って持って行った。食べれるらしいから、よかったと思った。
弟も神父をしている。弟へいつも誰かを介して、お金を届け、小学校へ子供が活けるようにしたり、学校の先生に、お金を払わなければ学校には行けないそうだ。道で遊んでいる子供が多いと聞く。
内藤美知子さんがまだ、いきていたころは、通訳の仕事で得たお金を全部、1)子供の生活・学校支援活動 2)シモン神父の家族にいる戦争孤児たちへの援助 3)職業訓練センターへの援助 と3つに分けて、私はそれをしっかり受け取り、翌日やってきたシモン神父に渡したのだ。内藤美知子さんの行動も、だれにでもできることではない。自分のことばかり、考えて生きていくのが普通だ。遠いアフリカのことを考える創造力のある人は少ないが、やはり存在しているのだ。このことに私は、感動した。
それをシモン神父に話すと彼も驚き、内藤美知子さんみたいなことができる人は少ないという話をシモン神父といつもしていた。
その貴重な存在だった内藤美知子さんも去年亡くなり、シモン神父も病気になり、半身まひになってしまった。今日は、よく集まった私の自宅での楽しかった日々を思い出して、少し寂しくなった。
また、新しい仲間ができるだろうと信じている。