他人の騒音に無神経なアメリカ人が研究するテーマじゃないなぁ。おまけにそんな単純なものじゃないだろう。近年、我が国でも外国籍の方が増え、電車で声高に話している場面に出くわしたりする。ぼーずの経験だと非英語の会話がほとんどである。つまり、まっとうなボリュームで聞かされたとしても意味が判らん(笑)。でもイラつくのだ。
また、かつて西麻布のフレンチで友人達と食事をしたことがある。ここは在日フランス人の友人が自国の大使館に電話をかけ、教えてもらった店で、外国人客が非常に多い所だった。今ほど携帯の普及率が高くなかった頃だったが、連れの一人に電話がかかってきた。彼女は小走りに店の外へ出て受けたのだが、その間にレストラン内のフランス人(多分)達がにらむことしきりだった。
この場合はベルの音だけなので、会話とはまるで関係ない。にもかかわらず親の敵を見るような目で見たのだ。友人の弁護をさせてもらうが、とんでもないボリュームや無粋な着メロを鳴らしたわけではない。おまけに会話の声がでかいのは彼等の方だし、食事が終わるなり葉巻をバンバンふかしていたのも彼等だった。この場合は彼等の知らん?ことを日本の小娘にやられたことへの嫌悪感だろうか。(実は大娘だったのだが・・)
なんで他人の通話に腹が立つのかを考えてみたことがある。結論は傍若無人への苛立たしさだった。おやぢの放屁、ゲップ、楊枝のシーハー、クチャクチャ食い、頭掻きフケ落としに鼻クソ掘り。不潔感が漂うことは否めないが、腹立たしさの根底に『一人の時にやれ』『俺の(あるいは私の)前でやるな!!』があるのだと思う。
傍若無人とは廻りに他人がいないかのように振舞うこと。それは、存在を認めてもらってないと感じるからじゃないか。真の理由はこれじゃないかな。友人の一人に、しょっちゅう猫と入浴する女性がいるが、ぼーずとは入ってくれた事が無い。この場合、猫よりは人間扱いされていると喜ぶべきなのだろうか。うーん。
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