計画の二転三転は被災者の気持ちを傷付け、逆なでしたに違いないと思う。また燃やされる薪も最初のものとは別だ。最初の薪は被災地、陸前高田市内の避難所や旅館などに置き、被災者がメッセージを書き込んだものだと言う。中には遠くからわざわざ書き込みに来た人もいたそうだ。
ぼーずは阪神大震災の時の神戸から買い出しに出かけ、割高な価格を設定した大阪に比べて京都は普通であり、古都のゆとりを感じていただけに残念な思いだ。無論放射能汚染云々を言い出した人は限られた人達であり、まっとうな考えを持つ人の方が多い事は否定しない。
実際、現在の所は圧倒的に『やるべきだ』の声が京都から聞かれるし、ここにも書いた通り、京都の友人は自腹で上京して被災地のボランティアを務めた。かの地に偏見が満ちているわけではないのだ。今回の問題はその場で間違った発言を正せなかった事だろう。
今回は薪の放射能を測定し、安全を確認していたと言う。主催者側はクレーマーを説得できなかったのだろうか?今の世、大きい声を上げる人にへつらい、議論を嫌がる人が多過ぎないか。うるさい人がいるから、差し障りの無い結論しか導けないのは残念である。送り火は16日。それまでとことん話し合えば良かったのだ。
議論しろと言っておいて、矛盾しているのは十分承知しているのだが、ホントの馬鹿は相手にしないことも大事だと思う。今、学校で食事の前に頂きますを言わせない所があるそうだ。『給食費を払っているのに頂きますとは何事ぞ』とねじ込んだ馬鹿親のせいだと言う。こーゆー馬鹿にはきっちり『馬鹿!!』と言ってやりたい。
送り火の日まであと4日。さて、今年は見送ってから帰るようだな。
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