総勢20数人の予定だが、2名がわざわざ神戸と京都から出てくるという。このセンセ、今でこそ好々爺を決め込んでおられるが、その当時は決して優しい先生ではなかった。朝の自習室で宿題の答えを写していた奴は、ぼーずの目の前でノートを持ち運びに便利な分割仕様?にされていた。
ちょっと脱線するが、ぼーずの英語担任だった別のアメリカ人の教師は持ち込み禁止の漫画(分厚い月刊ジャンプだった)を取り上げ『学校にこんなもんを持って来ないでね』と言いながら電話帳並みに厚いそれを背表紙から、軽く真っ二つに引き裂いた。なんちゅう馬鹿力やと悪童どもが大人しくなったのは言うまでもない。(普通これをやるには背表紙の反対側をずらしながら破るというトリックを使う。普通の力だと背表紙から破るのはまず無理)
そう、ぼーずの学校は人種の動物園。黒い人こそいなかったが、英米独伊、スペインにアルゼンチンと世界中のあちこちから来ていた。コロンビア出身の先生はギターが上手く、本国では数万枚のレコードを売ったとか言っていた。(あちらでは大ヒットだと・・本人は言っていた)
従って英語は必ず一人はネイティブの教師が付いていたのだが、そんな彼らに向かってダンゲロウズ(Dangerous・・そのままやんけ)という極めてデンジャラスな発音をする奴もいるのがご愛嬌といったとこか。御年83歳の恩師もこの外国人教師一人であった。彼は母校在籍期間が数年と短いため他の学年とは余り付き合いがないという。
われわれは卒業後、恩師が中学教諭から上智大学の教授になり、夏目漱石の研究では権威の一人と聞かされ驚いたし、『こころ』や遠藤周作の『お馬鹿さん』の英訳では、かなりの評価を受けたことを素直に喜んだ。
そして、厳格だった師も年と共に丸くなられ、プレゼントのウォーキング・シューズに対しニコニコしながらスピーチをしてくれた。帰りに宿舎まで送ろうとすると盛んに自分は大丈夫だから帰れと言う。挙句に果てに、帰りの地下鉄の乗り方まで教えてくれた。『センセ、わしらもう50越えてまっせ』
83歳の老師にはおやぢ達がガキに見えるのだろうか(笑)。ま、年は食ったけどほとんど進歩してないからなぁ。
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