11日、“六甲大祭り”と題し、久しぶりに中高同窓会を母校でやると言うので出席する。校庭や校舎をうろついたら取りとめのない昔の記憶があちこちから浸み出してきた。そんな歳になったんだなとしみじみ思う。当初、昔通り阪急六甲から歩こうなんて考えていたが、年寄りは死にそうな真夏日。タクシー捕まえ、後ろに並んだ男性に『伯母野山ですか(同窓生ならこれで判る)』と尋ねて同乗したが、乗ってからよく見たら東京の同窓会で良く会った先輩だった。すんませんね、まさか東京から来られるとは。
高校の頃は、駅から10分を切ったこともあったが、昨年試しに歩いたら30分かかった(笑)。距離的には初乗り料金で行けるのだが、なにせ坂が急。在学中にタクシーが認められていたのは怪我人だけで、遅刻を避けようと割り勘で乗ったのを校門で待ち受ける校長に見つかると、そのまま駅まで歩かされた。勿論駅からまた歩くのだから完璧に遅刻。
この話を大先輩にしたら『シュワイツェルさん(僕らの校長で2代目だった)優しいな。ワシらの頃、遅刻したら日本手拭い渡されたんやで』・・・ン??『そんでな、山のてっぺんに送電用の鉄塔立ってるやろ。あれに結んでこいて』当時の初代校長、武宮さんは学校から望遠鏡で見上げて手拭いを確認したそうな。『帰ってきたらもう昼休みやで』(爆)
手拭いがもったいない??・・・ご心配なく、その次に遅刻した奴がそれを外して持ち帰るんだとか(笑)。昨年、敷地内にある修道院の空き部屋を借りて、Robert=M=Flynn神父を偲ぶ記念館を作った。師はプログレスという教科書を作り、我々に30年近く英語を教えてくれた人だ。
僕等の頃は英作文の授業は必ず外国人神父だった上、幾何や生物、倫理まで外国人の神父が先生。ワシャ子供の作り方はドイツ人校長から教えてもらった。その上、日本人神父も居たので修道院は満杯だっんだけど、なにせ現在は神父の在籍0。空き部屋はいくらでもある。
掃除の為、この記念館に行くと誰かが校長の写真を放り込んでいた。ここ物置じゃないんだけどね(笑)。真ん中の写真が初代校長武宮隼人神父、左が二代目で僕らを見てくれたフーベルト=シュワイツェル神父だ。右の方は見た覚え無いが、創立時の神父かなぁ?しかし、歴代校長の写真くらい校長室に飾れよ(笑)。現校長は卒業生なのでそろそろ見飽きたに違いない。
この部屋の元をただせば、10年程前に亡くなったメルシュ修道士の遺品を収めた所だった。僕が中学に入学した当時、母校にはヒルケル、メルシュというドイツ人マイスターが二人おり、僕らが使った教室の机は勿論、今は無い旧講堂の椅子も彼等の作だったと聞いた。マイスターは親方と訳されているが、国家資格でありドイツでは職人のトップとして尊敬される人達だった。
元々は修道院の聖堂だったためにかなり広く、膨大なメルシュ氏の工具を置いても余地があったので、現校長を拝み倒しフリン神父記念館としても使わせてもらっている。しかし、この分だと博物館と化すかも(笑)。誰のものとも知れない書物や勲章まで置いてあるし。ま、普段は施錠してあるから責任者の意向だろうとそのままにしてきた。
※まだここ続く。日付は縦に連続で並べるためのダミー。
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