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心変わりもまた楽し

残業が当たり前だった研究所在職時代は、早めにフケる時「○○なんで、お先に」と挨拶して逃げるのが常だった。僕の場合はライブと同窓会が理由のトップで、同窓会は『またやるの?飽きない?』と同僚が呆れるほどの頻度だったが、それらは総て同期の有志が集まるミニ同窓会で全OB対象の総会は殆ど出たことが無かった。

有体に言って、学年が上と言うだけの理由でデカイ面をされるのが嫌だったのだ。それも嫌ほど世話になったバスケの先輩方ではなく、先輩というだけの人に理不尽なクレームを付けられたことがあったからだ。普通ならその場で『馬鹿か!てめー』で袂を分かつのだが、その場で巻き込みたくなかった人に遠慮したのがいけなかった。その後は同期会にしか出ていない。

今年の冬、高校同期の新年会に見覚えのない顔があった。妙に若作りだが誰だった?と悩んでいたら20年も若い後輩だった・・・若くて当然(笑)。彼は今年の幹事期で、我々の飲み会を聴き付け、夏に行われる全体同窓会のPRに来たのだった。熱心だなぁ、しかも集客方法を良く心得ている。

2000年に我々が幹事を仰せつかった。祭りに神輿は不可欠だ。日テレに勤めていた同期を口説き、東京・神戸を衛星回線で繋ぐことにした。『普段会えない恩師や仲間と喋ろう』がキャッチフレーズ。加えて各期“影の幹事”を調べる。これは同窓会に登録された正規世話人でなく、気軽に声を掛けて十数人の集まりを企画するような人の事だ。各期にこういう人は必ずいる。

その仕切り屋さん達に電話やメールで『まずは集まって同期で飲んでください。盛り上がった頃、総会に突入。大画面を通して東西で話しましょう。その為には神戸・東京でそれぞれ同期を10人位集めてください』と大攻勢をかける。その甲斐あって、普段の2~3倍、総計で600人を超える人間が集まった。

今回の後輩達は神輿を母校に定めた。会場をいつものホテルで無く母校に集まり、各界で活躍しているユニークなOB達の講演をいくつか開き、最後は校庭で飲もうと言うのだ。ん~面白そうだけど後始末が大変だな(笑)。20年若いという事は43~4歳か、ま、若さで頑張ってもらおう。

わざわざ年寄りの飲み会にまで出向いた幹事期後輩クンの心意気に感じ、久しぶりに出ることにしたのはいいが、何ちゅう暑さか。六甲の急坂を歩いて登るのは断念しタクシーで上がる。ビールは冷えていて嫌いなドライでも気にならず飲めた。只、場所がね・・・・通学していた頃、ここは訓育室(普通の学校の生活指導室)・校長室の真ん前。良く招かれては説教されてたからなぁ(笑)。



男子校なのでオッサンばっかり・・・・司会はプロの方で姉妹校だった海星のOGでお父様はウチの卒業生だとか。写真に写っている女性は恐らくスタッフ関係者。写ってない所に二人程和服姿の女性がいるのだが、こちらは正真正銘の後輩クン。我々はバカ杉田とは違い、生産性という言葉の誤った用法は学んでこなかったので・・・そういう生き方もアリなんとちゃう・・・で納得。

堂々と出てくれた彼女ら??に乾杯。
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