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エコとエゴ

エコ漬けのサミットが終わった。まぁ、やらないよりはやった方がいい位と言うと怒られるか?エコロジーの重要性は理解しても、こいつを大上段に語る奴らには胡散臭さが付きまとうし、どこまで信じて良いかが判らないのだ。

消費生活アドバイザーという人達がいる。一時はぼーずの会社でもこの資格を取る事が奨励され、確か何らかの補助もあったのだが、熱し易く、冷め易い社風の為か、もはや忘れられた存在になっている。また資格を取った人達だけで仲良しクラブを作ってしまったものだから、後に続く人も少なくなり、社内では今や竹やぶのパンダ状態だ。

べつに自社の団体を悪く言うつもりはない。問題はこの団体を統括する偉いさん(確か副会長だった。勿論社外の人だ)が言い出した『環境悪化を招くと言う事象に対し、石鹸と合成洗剤に大差は無い』と。まず思ったのが、使い難い石鹸を使ってきた人達の今までの努力は何だったんだ。そしてネットで調べるとこれは科学というよりは宗教論争ですなぁ。

環境問題は足し算引き算なので総合的に『大差無し』という結論もありだろう。が、よく読むと・・・えてして都合の良い部分だけを引っ張ってくる人が多過ぎるのだ。例えば、箸を洗う場合の水質汚染と割箸の使用から来る自然破壊を比べると大差が無いと言う人がいる。

これって比較可能か?チェスのチャンピオンと本因坊どっちが強いかと言うようなもんじゃないのか?? また、割箸派は間伐材の有効利用と言うし、水質派は浄化すれば問題ないという。おなじ土俵では語れないと思うのだ。ましてや中性洗剤対石鹸は科学対自然で語られる事が多いが、そう簡単に白黒はつけられないのでは

中性洗剤が石油から作られていたのは大昔のようだ。河川を汚していたリンを含まないものも出ている。では環境負荷に大差がないという意見が正しいかと言えば・・・申し訳無いがそれを素直に信じる程、ぼーずは善良に育ってこなかった。

ガキの頃、キャンプに行った時、100cc程の中性洗剤を水薬のビンに詰めて持って行った事がある。お恥ずかしい話ではあるのだが、小川の中で直接食器を洗ってしまったのだ。下山中にとんでもない事をしでかした事に気付いた。川沿いに下ったのだが、一日経ったにも関わらず、いつまでたっても淀んだ場所には泡が残っているのだ。他にキャンパーはおらず、ぼーずの不始末である事は明らかだった。

冬の海だって泡立つ時がある?ではもう一例を。面の皮が厚いぼーずではあるが、手の皮は極めて薄く、洗い物を多めにすると必ず皮がむけ出した。保湿剤を使うと少しはましになるのだが、ある時完璧な対処法を発見した。食器洗いには中性洗剤をやめ石鹸を使う事だった。

もちろん上記の例はテストと呼べるものではない。本来なら中性洗剤と石鹸同等の濃度でテストすべきだろう。手荒れはぼーずの体に原因があるのかもしれない。ただ、それでも大きな声で言いたい。ぼーずは経験則として石鹸しか使わないと。

※実は割箸エコ論争には重大な落とし穴がある。これについては別の所で話をしたいと思う。
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