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光の世界へようこそ❣️

日中 友好 さくら植樹 (16) 徳の高い人に神の采配あり、


かかる軍人ありき、伊藤圭一 著 
さくら紀行転載

さて、ここらで田辺中佐の政治、経済面の才腕とは別に、
軍人である以上その軍事的行動について、
少々触れておく必要があると思われる。
先に履歴のところで記したが、
第36師団の大隊長として赴任したときのことである。

田辺中佐が司令部に挨拶に行くと、師団長が、
「君は大隊の指揮ができるか」と聞いた。
実践は参謀部勤務とは違う。
それで懸念と同情を示したのである。
しかも中原会戦の開始直前である。
この作戦は、参加90個大隊がすべて、挺身隊として、
敵陣に食い込んでいく、
と言う壮烈な企画を持っていたからである。

この時、もう1人、ノモンハン事件の際、
金鵄(キンシ)をもらっているM少佐が申告に来ていたが、
このM少佐は田辺中佐の後輩である。
ところが、実践に自信のあるM少佐は
1番乗りは自分にお任せください。と、
田辺中佐を無視して高言した。

作戦が始まり目標の山頂へ向けて前進が開始されたが、
田辺大隊とM少佐の大隊とは、
双方から同じ稜線を目指して進んだ。
田辺大隊は必死に山を辿り詰めて、
M大隊よりも8分早く目的地を占領した。

もちろん山頂の敵を、駆遂して陣地を占領したのである。
つまり第1陣において1番乗りであり、
次の地点に対する攻撃の序列は田辺大隊が
先頭に立てるのだった。
けれどもこの時田辺中佐は後続してきたM少佐に
先陣を譲った。
功績を欲しがっている相手の立場を察してやったのである。
大隊が1番乗りをするかしないかと言う事は、
大隊の兵員一同の名誉と功績に関するので、
中隊長以下は、先陣を譲ったことを悔しがった。

当のM少佐にしても、非礼な言辞を弄したにもかかわらず、
先陣を「譲られて本当に先に行ってもいいですか」
と何度も念を押し、嬉しげ先に立った。
敵の陣地は黄河の線まで幾重にも続いている。
先に立てば常に一番乗りを続けながら前進でき、
功績は独り占めできる。
田辺大隊は第二陣としてM大隊の後に続いたが、
翌日には変わって、第一陣となった。

なぜなら、先に立ったM大隊はその日の戦闘で、
大隊長、副官を始め、多大の犠牲者を生んで、
先行する能力を失ったからである。
運命の劇的ないたずらによって、
先陣の功名は田辺大隊に流れ込んできたのだ。

*******
興味のある展開に思い出しました。
徳育の中に謙虚、慎み、があり
「功績を譲る」を学びました。

これは騎士道八つの徳目
勇気、節制、正義、信仰、愛、希望、慈善、慎み
に通じるもの、
全文から、田辺大隊長の人格の高さが窺えます。

結果として徳の高い人が
ご加護いただけるということでしょう。

2021 6/3

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