つぶつぶ会員イベント秋の講演会、
「海の精の塩づくり~伊豆大島から届ける伝統海塩」を聞きに深川まで行って来ました
つぶつぶに出会ってから使わせていただいてる「海の精」
社長の寺田さんのお話と、つぶつぶ創始者ゆみこさんとのコラボトークもあるということで楽しみに伺いました
美味しいからずっとこのお塩を愛用してるんですが、今日のお話で作り手の方々の手間と努力、昭和の時代に法律で国中の伝統塩田が全廃されてしまった時に、本物の日本の塩作りの伝統を守り抜いてくださった経緯を直接伺えて、その情熱に感謝と感動!
勝手に塩を作って売ってはいけない、という時代に「研究用」という名目でコツコツ伝統海水塩を作り続けてくださった寺田社長のような方々がいらっしゃったおかげで製法が引き継がれ、今日本ではたくさんの伝統製法の海水塩が作られているんですね。
以前は「塩は摂りすぎちゃダメ 健康のために減塩しないと」と思いこんでました。
巷に多く広がるほとんど塩化ナトリウムだけのバランスの崩れた食塩を「塩」だと勘違いして、高血圧なんかの原因にされちゃってる情報がいまだに溢れてるからね~
そして、海外から輸入された色のついた岩塩の方が、ちょっとヘルシーな気がして使ってたなぁ
あの頃かなり貧血気味だったかも 献血断られたりしてたしな・・
岩塩は採掘する層によって含まれる成分に偏りがあることも知りました。
ミネラルバランスの整った古式製法の海水塩をしっかり摂ることが、心と体を元気にしてくれる、
これは、つぶつぶのごはんを実践し続けてホント実感してます。
ヒトはお塩を断たれると生きていかれない。
昔日本では瀬戸内海エリアで塩のほとんどが作られ、毛細血管のように張り巡らされた「塩の道」を通って、平地では馬で引き、山では牛で引き、牛も通れないところは人が背負ってその塩を日本中に運んでいたとのこと。それが文化も流通させる道になっていた、というお話に、なんとも言えない懐かしさ、愛おしさを感じたのはなぜかしら
お話が終わったところで、お塩のスープとおにぎり🍙を振舞っていただきました。
ううう旨~い!
青のりふりかけと、醤油で炒めた板麩がたっぷり入ったおにぎり
沢庵と梅干 どれも海の精のお塩で作られたものです。
たくさんの人が関わってくださったゴールに私がここでこんなおいしいものを食べさせてもらってると思うとちょっと泣きそうになったぞ
なんと、こんなにたっぷりのお土産までいただいてしまった。
使ったことない「ほししお」やら、にがりまである!
嬉しい! おいしいごはん作ります!!
豊かな気持ちで会場を後にし、駅まで歩く途中にある
深川江戸資料館でちょっと昔の暮らし感じたくなって
入ってみた
小さい裏長屋の部屋 入ってすぐの土間はキッチン
漬物つけて、ご飯炊いて、お味噌汁作って 日本人はそうして暮らして来たんだねぇ
ここは、三味線のお師匠さんが住んでるという設定らしい。
ミニマムサイズの衣食住、なんだか清々しいねえ
自分がお師匠さんになったつもりであれこれ妄想していると、見知らぬおじさんが
「江戸に暮らすと3年に1度くらい火事に遭遇する確率だったらしいよ
火事になったら荷物はたくさん持ち出せないし、燃えなくても延焼防ぐのに火消しが長屋ごと壊しに来たからモノはあんまり持たない暮らしだったんだね」
と話してくれました。
そして
「この長屋は、江戸時代末期がモデルで、もう数年後には明治の世になるって時なんだ」
と教えてくれました。
そうなのか
明治っていったら、150年くらい前?
そんな大昔ってわけでもないこの時代から、ずいぶん違った私の今の暮らしぶりがあるけれど
今日のお話と、長屋の空気が
何かとても大切な奥深い記憶をDNAレベルで揺り起こしてくれたような
不思議な気分
ぷらぷら歩いてたら良い感じのカフェをみつけたので
珍しく緑茶をいただいて帰りました。
すっかり気分は江戸のヒト
カフェ清澄さん
静かで居心地良かった
江戸時代も水茶屋ってたくさんあったんだよね
みんな喫茶が好きだったのね きっと
喫茶通いがワクワクするのもDNAのなせるわざ?(笑)
今日も楽しかった
「海の精の塩づくり~伊豆大島から届ける伝統海塩」を聞きに深川まで行って来ました
つぶつぶに出会ってから使わせていただいてる「海の精」
社長の寺田さんのお話と、つぶつぶ創始者ゆみこさんとのコラボトークもあるということで楽しみに伺いました
美味しいからずっとこのお塩を愛用してるんですが、今日のお話で作り手の方々の手間と努力、昭和の時代に法律で国中の伝統塩田が全廃されてしまった時に、本物の日本の塩作りの伝統を守り抜いてくださった経緯を直接伺えて、その情熱に感謝と感動!
勝手に塩を作って売ってはいけない、という時代に「研究用」という名目でコツコツ伝統海水塩を作り続けてくださった寺田社長のような方々がいらっしゃったおかげで製法が引き継がれ、今日本ではたくさんの伝統製法の海水塩が作られているんですね。
以前は「塩は摂りすぎちゃダメ 健康のために減塩しないと」と思いこんでました。
巷に多く広がるほとんど塩化ナトリウムだけのバランスの崩れた食塩を「塩」だと勘違いして、高血圧なんかの原因にされちゃってる情報がいまだに溢れてるからね~
そして、海外から輸入された色のついた岩塩の方が、ちょっとヘルシーな気がして使ってたなぁ
あの頃かなり貧血気味だったかも 献血断られたりしてたしな・・
岩塩は採掘する層によって含まれる成分に偏りがあることも知りました。
ミネラルバランスの整った古式製法の海水塩をしっかり摂ることが、心と体を元気にしてくれる、
これは、つぶつぶのごはんを実践し続けてホント実感してます。
ヒトはお塩を断たれると生きていかれない。
昔日本では瀬戸内海エリアで塩のほとんどが作られ、毛細血管のように張り巡らされた「塩の道」を通って、平地では馬で引き、山では牛で引き、牛も通れないところは人が背負ってその塩を日本中に運んでいたとのこと。それが文化も流通させる道になっていた、というお話に、なんとも言えない懐かしさ、愛おしさを感じたのはなぜかしら
お話が終わったところで、お塩のスープとおにぎり🍙を振舞っていただきました。
ううう旨~い!
青のりふりかけと、醤油で炒めた板麩がたっぷり入ったおにぎり
沢庵と梅干 どれも海の精のお塩で作られたものです。
たくさんの人が関わってくださったゴールに私がここでこんなおいしいものを食べさせてもらってると思うとちょっと泣きそうになったぞ
なんと、こんなにたっぷりのお土産までいただいてしまった。
使ったことない「ほししお」やら、にがりまである!
嬉しい! おいしいごはん作ります!!
豊かな気持ちで会場を後にし、駅まで歩く途中にある
深川江戸資料館でちょっと昔の暮らし感じたくなって
入ってみた
小さい裏長屋の部屋 入ってすぐの土間はキッチン
漬物つけて、ご飯炊いて、お味噌汁作って 日本人はそうして暮らして来たんだねぇ
ここは、三味線のお師匠さんが住んでるという設定らしい。
ミニマムサイズの衣食住、なんだか清々しいねえ
自分がお師匠さんになったつもりであれこれ妄想していると、見知らぬおじさんが
「江戸に暮らすと3年に1度くらい火事に遭遇する確率だったらしいよ
火事になったら荷物はたくさん持ち出せないし、燃えなくても延焼防ぐのに火消しが長屋ごと壊しに来たからモノはあんまり持たない暮らしだったんだね」
と話してくれました。
そして
「この長屋は、江戸時代末期がモデルで、もう数年後には明治の世になるって時なんだ」
と教えてくれました。
そうなのか
明治っていったら、150年くらい前?
そんな大昔ってわけでもないこの時代から、ずいぶん違った私の今の暮らしぶりがあるけれど
今日のお話と、長屋の空気が
何かとても大切な奥深い記憶をDNAレベルで揺り起こしてくれたような
不思議な気分
ぷらぷら歩いてたら良い感じのカフェをみつけたので
珍しく緑茶をいただいて帰りました。
すっかり気分は江戸のヒト
カフェ清澄さん
静かで居心地良かった
江戸時代も水茶屋ってたくさんあったんだよね
みんな喫茶が好きだったのね きっと
喫茶通いがワクワクするのもDNAのなせるわざ?(笑)
今日も楽しかった
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