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ブログ katsukazan/活火山★時々の四方山話

無敵な言葉のひつ「必然性」のスーパーパワーを検証

また、毎度の、それも取り留めの無い駄文で行きますのでご容赦を。。

▼よく左翼・リベラルの、それも中二病系とやりあっていると、敵が好んで使用する用語に「必然性」があります。

俗に、広く転用されて不動の地位にあるのが「歴史の必然性」です。
敵を「あーだらこーだら」攻め上げて行くと、かれらは伝家の宝刀のように振り回すのが「必然性」です。

▼原理、原則、不変のような概念を「必然」といい、だれが最初の言い出しっぺかとぐぐってみたら、カントとのこと。

旧制高校のある時期、疾風怒濤・シュトゥルム・ウント・ドラング の感性で「アイン ツヴァイ ドライ」と絶叫し、寮歌放吟をした時代、「デカンショ」という流行りの風俗単語?がありました(聞いた話です)

その「デ」がデカルトで、「カン」がカント、「ショ」がショーペンハウエルで、当時のドイツ哲学の三代巨人であったらしい。

そのカントが言い出しっぺでした。

▼そして、この「必然性」を左翼の魔法の、最強のレトリックの高みに吊り上げたのが、二人の社会科学者で経済学者さらに、〇〇学者がいくつか並ぶ、エンゲル係数で有名なエンゲルスとスーパースターのユダヤ人のマルクスです。

さらにそして、〇〇学者という冠詞が複数ならぶ二人の学者がコネクリ回し、共著で世に出たのが「共産党宣言」です。


▼その後日本の中二病的左翼・リベラルに「社会や歴史の流れがこうなるのは歴史の必然性である~~~」と言われると、上念司氏のバルカン砲的口撃力を持ち合わせていなければ、論破不能になります。

東京裁判だって、弁護側が、「日本の奇襲作戦、真珠湾攻撃は、米国手動によるABCD包囲網による経済封鎖への対応として生存権の行使」などと言わず、かんたんに「あの状況に置かれた結果を起因とする歴史的必然性」に因るものと主張すれば、戦犯としての極刑は回避できたかも知れない。


▼なぜなら、必然は偶然ではなく、自然科学的、物理的で数学的な帰着を言っているのですから、検察側は、それを論破できない仕組みになっています。

1+1は2で、2X 2 は4。  水は上から下に流れ、とどまればその表面は水平といった具合で、「そんなものに必然性が無い」と言うようなら、即座にその言い出しっぺは、簡単な原理原則、計算もできない野蛮人かある種のビョーキということになり、即、退廷され、どこかに収容状態で入院させられます。


▼現代社会では、左翼・リベラル、あるいは、人権リベラル、自然左翼、反戦平和左翼、活動家はすべからく、必然性を中核にした個々の花びらののように、一枚一枚に誰もが反論できない「美談を装い 」「善を装い」理論武装をします。
それ故に、鬱陶しい存在になると思っておりましたところ、facebookの友達が「美談を装い 」キリスト教の宣教師が戦国時代の終盤に来日したとする投稿に今夜遭遇できたので、その切り口に便乗させていただきました。

▼この二人が「もし、ホニャララだったら」一億人以上の人が、反革命の罪名で虐殺されることは無かったかも知れない。

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