前投稿の記事で記述した内容とキワードになる「秘密警察」の切り口で、メモ的雑文を。。
投稿後、以下の部分が気になり、補稿に
プーチン氏が通常では無いような発言、行動、発信が数多くネット空間で目に入りますが、「キ印」かどうかは別にして、・少年期のエピソードに関するコンテンツ・1988年ベルリンの壁の崩壊時に、KGBの人間として、東ドイツの政治犯収容所でかなりの高ポストにいた。 収容所から開放された元政治犯のヒヤリングを行った時、収容所内の管理する側のワーストグループの高位(ナンバー2か3レベル)に名前があがった一人がプーチンだったということを発信したyoutuberさんのコンテンツもあった。
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プーチン少年は、今でいう中学生か高校生時代は、ストリートファイターだった。
何人かの兄弟がいて、都市で生活していたが、仮にモスクワでも、両親が片方が共産党員で、組織の要職についていなければ、家族の人数の対応した広さの住宅は望めかった。
共産党全盛時代は、大きな家になれば、一般に国民は数家族が、複数ある各部屋にひと家族分の生活スペースとして決められた時代らしいデス。 当然ながら、キッチンは共同、トイレも、シャワー室も共同で当然ながら建物の出入り口・玄関も共同という時代です。
プーチン少年は、狭い部屋に居ることを嫌い、街にでてはケンカに明け暮れるストリートファイター的ヤンキーだたらしい。 そこで強くなるために、ボクシングだったか空手を習ったのですが、入門してすぐに、練習中にハナをを骨折、その結果、今度は柔道に転向したという経歴があります。
以上は、自叙伝があるらしく、それを読んだ方の発信した内容ですが、彼が柔道の黒帯ということに興味があったことで、情報発信者が発信した内容が、奇妙に記憶に鮮明です。
柔道、黒帯ということで、多くの日本人は、「プーチンは日本通の親日派と早合点しそう」ですが、原点がケンカで勝ち抜くことで、そこにあるのは、競争で、勝ち続け、勝者になるという、一種の生存競争であったと見えます。
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成長して高等教育を受け、武闘派のプーチンはロシア伝統の秘密警察を継承する
国家政治保安部・GPU(こっかせいじほあんぶ)、正式名称ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国内務人民委員部附属国家政治局の収まります。
そして前投稿の記述通り、東ドイツ崩壊時は、東ドイツにGPUから派遣されて、東ドイツの政治犯を収容する施設の上層部にいて、収容者からは恐れられる存在になっていたと。。
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世界史で、秘密警察をググると、その原点は帝政ロシア1866年に創設されており、そのキッカケは「1866年、アレクサンドル2世暗殺未遂以後、ペテルブルク特別市長附属秩序警備・公安局として創設された」の記述がありありました。
つまり、およそ、秘密警察という政治犯警察を組織したのが帝政ロシア時代であり、それが、後年、ナチス・ドイツが政権をとると、同様にドイツでもゲシュタポ という組織の導入がなされ、さらに後年共産圏のすべての国の定番組織になったという歴史がありました。
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ナチスもかっての東欧各国の秘密警察もルーツを辿れば帝政ロシア1866年に行き着きます。
1866年は日本は幕末で2回の長州征伐が終わり、逆に、薩長同盟が成立する時代です(^o^)