青い目の人形を見つめる「渋沢栄一」
大変ご無沙汰致しました、コロナのネタ切れで投稿が滞っており失礼しております。
店主が世話人をしている「思い出授業」の講演内容を、随時投稿を決めました!
読者の皆様が、気ままに読んで下さると幸いです。
★日本の産業&教育&福祉の礎を作った巨人渋沢栄一
2021年新一万円札に登場!
1840(天保11)年2月13日、現在埼玉県深谷市血洗島に誕生。
家業の藍玉製造・販売や養蚕を手伝うかたわら、幕末動乱の中「尊王攘夷」思想の
影響を受け江戸へ。
時の人・一橋慶喜の一橋邸を訪れ、慶喜の謀臣“平岡円四郎”に推挙され慶喜に仕える。
※珍しい武士姿の写真
一橋家の財政再建に大いに実力を発揮し、頭角を現す。
27歳の時、将軍徳川慶喜の実弟・水戸藩主徳川昭武に随行しパリ万国博覧会を見学、
欧州事情を学ぶ。
明治維新後、明治政府が大蔵省に招聘新しい国づくりに関る。
1873(明治6)年に大蔵省を辞し、設立した「第一国立銀行」を拠点に、株式会社組織の
企業創設 ・育成に力点を置く。
※写真
・絹製造で富岡製糸
・輸送で日本郵船や旧国鉄
・造船で石川島播磨重工
・保管で澁澤倉庫
・建設資材で日本煉瓦製造
・医療で日本赤十字
・教育で一橋・日本女子・二松學舍他
・エネルギーで東京瓦斯
生涯で約500の企業、約600の教育機関・社会公共事業支援を
行い、近代日本の金融・殖産の礎を作った明治の巨人。
但し、三井・三菱・住友の様な一大財閥を作らなかった。
それが、渋沢栄一流の生き方「起業家精神」だった。
1931(昭和6)年11月11日、91歳の生涯を閉じる。
★「渋沢栄一翁」市井の語り部・金子祐正(すけまさ)さん
※写真
さいたま市在住60歳以上シニア大学で「渋沢栄一」講義の講師。
シニア大学事務局に紹介願い、7月に渋沢栄一の講義をお願いしました。
2015年シニア大卒の同窓を対象に、市の公民館で月一回講師を呼んで、講演会を
企画しています。
金子氏は、渋沢栄一設立日本煉瓦製造入社、最後は会長を歴任
現在も日本れんが協会技術顧問。
<プロフィール>
1955年 群馬大学工学部卒業
1984年 日本煉瓦製造㈱会長
1997年 渋沢栄一記念館調査主任研究員
現在 日本れんが協会技術顧問
市井で渋沢栄一研究の第一任者、詳細な研究資料から分かり易く栄一像を教えて下さいました。
日本の金融・産業を創成したコトにスポットライトが当たるが、実は将来を背負う人達の教育と
社会福祉の基盤作りを注力。
日本結核予防協会や中央盲人福祉協会等の社会公共事業等
民間外交にも尽力、排日運動が際立つ米国の各界と協議
明治維新後、日本国民の生活を支える福祉や殖産振興に必要な仕組みや新規起業を次々行い、
近代国家の屋台骨を作った。
三菱財閥を興した岩崎弥太郎とは対照的に、派閥を作らず日本の将来必要となる基盤事業を、
淡々と仕込んでいった偉人。
★王子飛鳥山に渋沢栄一「曖依村荘」跡に「渋沢史料館」
※「渋沢史料館」写真と王子駅付近地図
渋沢栄一の旧邸「曖依村荘」跡(現在東京都北区飛鳥山公園の一部)に「渋沢史料館」設立。
旧邸内に残る大正期の建物「晩香廬」と「青淵文庫」を施設として開館。
(いずれも国指定重要文化財)
※「晩香廬」
※「青淵文庫」
1923(大正12)年の関東大震災で、兜町の邸宅が消失し飛鳥山「曖依村荘」へ車で避難
したのは、有名な話し。
★渋沢栄一以外に、埼玉の生ん偉人二人
(店主も知らなかった!スミマセン(^_^;))
2)江戸時代盲目の歴史学者・塙保己一(はなわ ほきいち)
盲目のヘレンケラーが目標とした偉人
※資料
3)明治時代の萩野吟子(はぎの ぎんこ)
日本初の女性医師、医療制度改革や女性地位向上
22歳で生涯を閉じた、全身全霊で人生を駆け抜けた偉人
※資料
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