「男はつらいよ」のフーテンの寅さんで、一世を風靡した渥美清
<本・「寅さん」こと渥美清の死生観>
戦後高度成長期の1969年、TVドラマから映画化された「男はつらいよ」
寅さんを演じた渥美清と、晩年8年の交流を綴った本
タイトルの「渥美清の死生観」の文字が、目に留まり読むことに
「死生観」のショッキングなタイトルに惹かれました
作者は宗教新聞社に勤めていた寺沢秀明
命・魂・宗教に付いて文章を作る仕事だから、自然に出た表現か?
しかし、編集者だけあって文章は抹香臭く無く大変読みやすかった
渥美清との接触は、映画試写会場で同席になり、帰りお茶をすることに
渥美清が、寺沢秀明の人間の値踏みを一瞬で行い、親交OKになった様だ
俳優・森繁久彌曰く、渥美清は「日本一の演劇評論家」と
暇が有れば、同じ映画&舞台を場所を変え観劇、観客反応の違いを観察
(黒柳徹子のTV番組で、彼が話していた)
又、外出時に本屋があると、必ず立ち寄り演劇の本を購入
(演技力を深める勉強をしてたんだ、研究熱心で凄い!)
寅さんは賑やかで明るい役柄だが、渥美清本人は人付き合いが苦手
人へ気遣いしてしまい、「俳優業」以外では外部と没交渉を貫いていた
(家族や住まいのブライベート情報は一切洩らさなかった)
宗教新聞の寺沢秀明は、数少ない付き合える親友だった!
渥美清は死=無の考え方、死後の世界・魂の永遠・輪廻転生等信じない!
それが、寺沢秀明との対話を重ねる内に、耳を貸すように変わった
寺沢秀明の考えを無視せず、それを許す友人関係が成立していた
寺沢秀明へのコンタクトは、撮影が一段落した渥美から電話で!
彼が行きたい観劇・場所を伝え、寺沢が調べてアレンジする
但し、渥美清の名前を出さないのが、彼の条件
渥美清の代官山にある「勉強部屋」(マンション)に通えた数少ない人
渥美清が、演劇&芸術・俳優&舞台・人生・女性・幽霊話しを語りあえる仲に
売れっ子女優から、渥美清の「襟足」が綺麗だ!と褒められたのが自慢
生活の良し悪しが「襟足」に出る!褒めた女優は鋭い視点を持ってる、と
彼が、節制した生活を送っている自慢話しでもあった
(結核療養から復帰以降、酒・たばこ・コーヒー・賭博をしなかった)
幽霊話しでは、出る話を聞きつけ大磯の旧藩邸に二人で赴き、夜まで粘る
又、渥美がロケ地の旅館で夜金縛りにあい、翌日主人に聞くと昔事件が!
1993年『男はつらいよ』46作ロケ現場、瀬戸内海香川県志々島の渥美から
弱弱しい声で「体が動かない!来てくれ」の連絡があり、急遽現地へ!
寺沢秀明が、急遽島へ到着した時、渥美の元気は回復していたが
(どうも事実は、1991年に肝臓癌が発見され山田洋次監督にのみ伝えていた
さくら役倍賞千恵子も悲報を受けるまで知らなかった)
ガン進行の事実は、寺沢秀明も全く知らされなかった!
逆に、寺沢秀明が胆石の手術したことを後で伝えると、生死に関わる病気を親友に
何故知らせなかった、と怒った!
(俳優渥美清としての付合と、本人田所康雄としての付合いを、分けていた?)
彼の死後、気持ちの整理が付き、交流の8年間の記録を整理し出版
「渥美清の素顔を、是非この本で後世へ伝えておきたかった」
<渥美清=寅さん/考>
誕生:1928年3月10日 本名・田所康雄
病没:1996年8月04日 享年68歳
「男はつらいよ」
1作:1969年
ж実は、この年に田所康雄(渥美清)は、内密に出雲大社で結婚式をしていた!
↓
↓
48作:1995年までシリーズが続く、世界的に例のないお化け映画に!
寅さんを演じた渥美清は、上野生まれで板橋育ち浅草演芸を愛した俳優
赤貧の家庭に生まれ、幼少期は欠食児童で病気がち、家でラジオを聴くのが唯一の楽しみ
徳川夢声の喋りが大好きで、皆の前で面白おかしく話をするのが得意であった
舞台が好きで若い頃浅草通が高じて役者に、狂気の喜劇を演じ好評を博した
不摂生な生活が祟り結核で片肺切除、療養生活から生還し浅草へ戻る
演技力向上を目指し、TV・映画に進出する
TV 「夢であいましょう」1961年スタートでレギュラーの座を勝ち取る
映画『沓掛時次郎 遊侠一匹』1965年(加藤泰監督)の身延の朝吉役は名演と評価
<1969年封切の「男はつらいよ」寅さん誕生秘話>
切っ掛けは、松竹社内の企画会議で「テキ屋の人情噺」制作が議論に
人情噺の落語が好きだった松竹の脚本家山田洋次を、監督に
浅草芸人で庶民派コントで笑いがとれる渥美清を、主演に
この二人の組み合わせで、「男はつらいよ」の映画製作が決定!
山田洋次と渥美清が、初顔合わせで会ったとたんに意気投合
渥美清は、テキヤの口上が子供の頃から大好きで、寅さん役として喋ると
山田洋次監督が大感激!
二人は一週間の泊まり込みで、葛飾柴又「フーテンの寅」像を作った!
威勢が良い口上
「泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、博打打ちの始まりが熊坂の長範」
「四谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れる御茶ノ水、粋な姉ちゃん立ちしょんべん」
フーテンのテキ屋稼業、全国の祭り縁日を飛び歩くが、旅先で「惚の字」が潰れると柴又の
妹さくらが働くおじさんの団子屋に舞い戻る
日本が高度成長時代に入りで忙しく働く庶民が、ホットできる「フーテンの寅」を愛おしむ
映画を観ながら「オイ、寅頑張れ」と、皆が声援を送った時代!
「フーテンの寅」が斜陽の映画界を救う、映画と国民が「One Team」、此れは凄い偉業!
寅さん、「嬉しい反面、驚きと戸惑い❣」があっただろぅネ❓
「男はつらいよ」寅さん役の渥美清、最後の作品まで演じ切ってくれて有難う
お疲れ様でした、ゆっくりおやすみ下さい 合掌
店主ブログへのご訪問とご拝読を、誠に有難うm(_ _)m御座いました。
又のご来訪を、お待ちしております。
全てに感謝U\(●~▽~●)У ブログ店主 金谷 拝