この宇宙の、絶対的要素!
「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」
「すべては、いま、ここに在る!」
おはようございます。
まず、素粒子同士うんぬん、といった理屈うんぬんではなく(モチロン
それも大事ですが)この世界の「すべて」が繋がっている、ということ
に「気付く」こと。
↓↓
まずは、これが「初めの一歩」
そして、この世界の全てがお互いに繋がり、連携し合い、補い合い、
労わりあいながら存在しているということを理解すると、それはやがて
「信念」になります。
信念とは、誰に押し付けるでもなく、また誰に何を言われようと
「そうに違いない!」と強く信じること。
それは「確信する」ということ。
↓↓
これが進化への 「第二歩め」
そして、この世界の全てが繋がっていること、お互いが助け合って生き
ていること、もらうばかりじゃなく、あげるばかりじゃなく、見えない
ところでお互いが、非常にバランスよく存在している(できる)と
「知っている」状態・・・・・
そのことを、もうアタリマエのこととして 「知っている」
新たに「知る」のではなく、いつのまにか、物心ついたころには
すでに「知っていた」という感じの「知っている」状態
毎朝太陽が昇り、夕方には日が沈むことをなんとも思わないように、
それを「常識」として、すでに、アタリマエに「知っている」
= これが 「知識」
全てが、まるでアタリマエのように、お互い助け合いながら、存在して
いることを 「知っている」 からこそ、深く感謝出来る。
それが 「すべてに感謝するのはアタリマエ」 という 「知識」
なので
逆に、恥ずかしくて「ありがとう」と言えない方が、「なんで?」
「不自然だなあ」 となるわけです。
(「知識」の段階から見ると、現代社会の常識こそ「なんで?」のカタ
マリなんだよ^^;)
つまり、「あらゆるものへの感謝」とは、実はこの「知識の段階」の
ものだったんです。
たとえここに書いたような理屈を知らなくても、いっぱい感謝してる
あなたは、すでに「知識の段階」に上がっていた!
実はもうアナタ、かなり振動高いですよ!?
そうなってるって、気付いてましたか?!^^☆
あなたにとって、感謝に値するすべての物事(状況)は、あなたを取り
巻くすべての物事(状況)
(もう、アタリマエですよね!)
あなたの目に映るもの(それ以外のものも)すべてに「ありがとう」と
言えるあなたって、なんて素晴らしいんだろう。
決して、褒めすぎじゃないよ!
遷宮に沸く伊勢神宮に行くことも素晴らしいけど、行かなきゃ深く感謝
出来ないってことでもない。
あなたの周囲のすべてが感謝の対象だと「気付き」知らず知らず「信念」
とし、いまや 「知識」 にしているあなたは、わざわざカミサマに手を
合わせに、どこに行く必要もない。
お伊勢さんに在る「神性」なるものが、すでに、あなたの周囲のすべて
にも「在る」って、あなたはもう
「シッテイル」 んだから!
ということは、
さらに言うと、
「あなた自身」もまた、感謝の対象であり、「神性そのもの」
なんだよ!
素晴らしいね。
「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」
「すべては、いま、ここに在る!」
おはようございます。
まず、素粒子同士うんぬん、といった理屈うんぬんではなく(モチロン
それも大事ですが)この世界の「すべて」が繋がっている、ということ
に「気付く」こと。
↓↓
まずは、これが「初めの一歩」
そして、この世界の全てがお互いに繋がり、連携し合い、補い合い、
労わりあいながら存在しているということを理解すると、それはやがて
「信念」になります。
信念とは、誰に押し付けるでもなく、また誰に何を言われようと
「そうに違いない!」と強く信じること。
それは「確信する」ということ。
↓↓
これが進化への 「第二歩め」
そして、この世界の全てが繋がっていること、お互いが助け合って生き
ていること、もらうばかりじゃなく、あげるばかりじゃなく、見えない
ところでお互いが、非常にバランスよく存在している(できる)と
「知っている」状態・・・・・
そのことを、もうアタリマエのこととして 「知っている」
新たに「知る」のではなく、いつのまにか、物心ついたころには
すでに「知っていた」という感じの「知っている」状態
毎朝太陽が昇り、夕方には日が沈むことをなんとも思わないように、
それを「常識」として、すでに、アタリマエに「知っている」
= これが 「知識」
全てが、まるでアタリマエのように、お互い助け合いながら、存在して
いることを 「知っている」 からこそ、深く感謝出来る。
それが 「すべてに感謝するのはアタリマエ」 という 「知識」
なので
逆に、恥ずかしくて「ありがとう」と言えない方が、「なんで?」
「不自然だなあ」 となるわけです。
(「知識」の段階から見ると、現代社会の常識こそ「なんで?」のカタ
マリなんだよ^^;)
つまり、「あらゆるものへの感謝」とは、実はこの「知識の段階」の
ものだったんです。
たとえここに書いたような理屈を知らなくても、いっぱい感謝してる
あなたは、すでに「知識の段階」に上がっていた!
実はもうアナタ、かなり振動高いですよ!?
そうなってるって、気付いてましたか?!^^☆
あなたにとって、感謝に値するすべての物事(状況)は、あなたを取り
巻くすべての物事(状況)
(もう、アタリマエですよね!)
あなたの目に映るもの(それ以外のものも)すべてに「ありがとう」と
言えるあなたって、なんて素晴らしいんだろう。
決して、褒めすぎじゃないよ!
遷宮に沸く伊勢神宮に行くことも素晴らしいけど、行かなきゃ深く感謝
出来ないってことでもない。
あなたの周囲のすべてが感謝の対象だと「気付き」知らず知らず「信念」
とし、いまや 「知識」 にしているあなたは、わざわざカミサマに手を
合わせに、どこに行く必要もない。
お伊勢さんに在る「神性」なるものが、すでに、あなたの周囲のすべて
にも「在る」って、あなたはもう
「シッテイル」 んだから!
ということは、
さらに言うと、
「あなた自身」もまた、感謝の対象であり、「神性そのもの」
なんだよ!
素晴らしいね。